山科本願寺南殿南の土塁 野村本願寺 野村姓の由来 

通夜法縁のため日中は外仕事行わずにただ自坊待機。

本堂でのこの土日の法要はありませんでした。

105歳、故人のご主人は先々代(13代釋祐匡)の時の総代をつとめた人。

故人は音楽教師で吉祥寺の叔父が小4~5の際に教わったとのことで拙寺・当家とも縁の深い方です。

その方(元総代)が記した書面がありましたので目を通しました。

そちらの文末には大澤寺門徒の「野村姓」について「山科本願寺」 (こちら)からという説が。

 

大坂本願寺に顕如さんの号令(檄)に応じて籠り、顕如さんの大坂退去後も付き従った当家開祖ほか五家の祖たち。

信長が死したことで開放に至り、こぞって遠江相良に定住したわけですがそのうちの一家の「野村」を指しています。

 

大坂本願寺には蓮如さんが入りますがそれ以前はいわゆる山科本願寺に。

実はその「山科本願寺」の名称として「野村本願寺」なる語もありました。ちなみにその寺地は、かの「白骨の御文」で蓮如さんが「無常」を伝えたといわれる人物「海老名五郎左衛門」が蓮如さんに寄進した地ですね。

そして、その寺地の地名が「野村」だったということです。

現在は「東野」「西野」なる名称があって「野村」の所縁を感じるところ。

 

こちらに参考までに山科本願寺に関しての2022年に記された論文「戦国期山科本願寺寺内町と在地寺院との関係について」をリンクさせていただきました。

 

画像は以前ブログにアップしている山科本願寺南殿付近①②③と、幼稚園の裏側の敷地。

土塁がハッキリと残存していることがわかります。

幼稚園敷地も入場できませんが、さらに南側のこちらも私有地につき一般の方は入れませんので念のため。