後世の城郭防衛ライン 山科本願寺 榛原高校書道部

早朝は僅かに雨らしきものがありましたがしばらくして晴れ間が広がりました。

おかげさまで法務も修めることができてありがたく思います。

 

回忌法要にあわせて「用意するもの」に関して予めお寺から指定している毎度「お決まり」の品があります。

他に御当家におまかせするところ(最近は遺影等)とがありますが、前者は華瓶(けびょう)1つ分の生花と御供物ですね。

御供物は以前と違い「白い饅頭」に拘らず「お好きな物」と告げ法要後に皆さんで「食することができるもの」と付け加えています。

 

その遺影について、開式30分前にどうするべきかの問い合わせがありました。

要は「本堂に持参しなかったが・・・」とのことでした。

そもそも写真の遺影というものは葬祭屋さんのサービスですから(料金は入っている)昔からあったものではありません。

かといって「不要です」と断言する理由はありませんし、故人の生前の絵姿を若い孫たちにイメージさせて、坊主たる私もその昔の姿を再認識することは悪いことではありません。

「基本おまかせ」のスタンスでその旨伝えるとその方の孫がご自宅まで取りに行っていました。

十七回忌の法要で当時孫たちが10歳そこそこの年齢。

それが今、健康に成長し、お爺さんの遺影のために一手間かけるという姿も喜ばしく思いました。

 

法要後にその姿をまじまじ拝見し、「この感じは○○さんにそっくり」などと話が盛り上がりました。一概にそれを「不要です」とは言い難い。

 

午後からは史跡研究会の会合で史料館に。 

史料館では先日新御城印のパンフをお持ちいただいた社会教育課の松下氏とたまたまお会いし「御城印ガチャ」の紹介を受けました。

実を言うと・・・とぶっちゃけられたのは上段にある薄ピンク色の「限定版」なる代物について。

「コレをやらせたいために娘をここにやった」と。

よく見れば「榛原高校書道部揮毫」とありました。

なるほど・・・とは思いましたが、「あの子が高校生になっていた」とここでも時の流れの早さを思い知らされました。

賢い子ですから地元の歴史学芸員等に成長していただければ・・・などと思うのはダメでしょうか。

本人意向無視の超勝手な発想でした。

 

夜間はNHKブラタモリ。

京都山科というので息子にもlineで知らせて視聴。

やはりそちらは当流でいえば山科本願寺(お東)画像③④ですね。画像は「春の法要」直前の頃だったか。

彼とは幾度もあの辺りを探索(こちらは南殿幼稚園南の土塁)していましたから。

 

尚、番組に出ていた「5m土塁と堀」はこちら

番組で指摘されていましたが土塁+堀の外郭の構成に「角」を多く採用しているところは防衛上画期的と。

以後の城郭建築の先駆的な城だったとの評価。

 

フラットな直線ではなく、より角を多く入れた作りです。それにより横矢横槍投石など防御力は2倍以上になります。

今風でいえば十字砲火を攻め手に与えられるということでしょうか。

各街道の交わる京都の東にあって誰もが目にしたその有様は各地の城の防衛ライン構築の参考となったわけですね。