上平寺城登城序盤 より古い太平寺城(未達)とは

暖かな陽射しの恵をいただきました。

よって花ガラの処理等、地頭方に向かうなど外仕事を少々。

そして昨日記した「相良城二ノ丸御門 太鼓矢倉の刻太鼓」の画像について、能書き文言の製作。

写真サイズの図を添付していましたが、如何にも図絵にある「タイコヤグラ」の字が見にくい。

よって、午後から島田のショッピングセンターに。

そちらには四つ切サイズにプリントアウトできる機械があります。

 

昼飯は店内の「マックでいい」と奥方が。

入店した際は繁盛の様でしたが、無事プリントが終了してしばらく、帰り際その店のカウンターにはロールスクリーンが降ろされて突如の閉店休業。

「ワケわからん」と目を見合わせて、店を出ました。

その件、全国的、いや世界的なシステムエラーということでしたが、日頃の利便の「反面」が出たようですね。

私どもにすれば、どうでもイイことでしたが。

選択肢はたくさんあります。

「システム」とか言っても人が作ったもの、アテになりませんね。生命に関わることでなければまったく許容できます。

 

扨、数時前まで記していた近江米原での寄り道の件。

いつもの事ですが、以前の画像です。

私のその寄り道の目的は上平寺城でしたが、上記画像はその家臣団屋敷址の図。

安土城の大手道脇を連想しました。

 

あの時私は、欲をかいて、うまいことそのお隣の太平寺城にワープできれば・・・という魂胆が密かに芽生えていました。

その城は同じ伊吹山麓にある京極家の城です。

 

私は家中で奥方に城歩きのリスクについて、時に死について思うこと等々吐露していますが、城には「ヤバかった」の反省がつきものです。

その全てが山城で冬か春にかけての季節というのが同じ。

そのNO.2を思うのがこの上平寺城というかそこからの太平寺城へのちよっとした迷いでした。

ちなみにNO.1は凍結、ノーガードレールの岩村城です。

 

上平寺城本丸からさらに伊吹山の標高を少しばかり上がり西方向に進もうというものでした。

5合目あたりには無かった積雪が歩行困難としたのですが、私はあの時、凍結した崖をノーロープで10mほど降りて沢までチャレンジした覚えがあります。

そこで「これ以上進んで何かあっても助けは来ない」を察しました。

よって諦め。再びその崖を這いあがったのですが、自宅に帰ってからその無謀に苦笑いしたものでした。

あの降雪では遺構の様子は見ることは難しいということもありましたが、人間の欲というものは真に計り知れない・・・あのブログでは最終目的地は上平寺城とは記していましたが、内心太平寺城もやっつけたいという気持ちがありました。

感覚的に冬の近江の山城はヤバい。

かといって夏場には行く気がさらさらしません。

各所に熊出没注意の看板が・・・

 

ここにまだ登城していない太平寺城ではありますが、しっかりと日本城郭大系に記されていますのでそちらを。

 

太平寺城 坂田郡伊吹町太平寺

 京極氏信   鎌倉時代中期 別名 霞ガ城

 標高1000m

 

太平寺城は佐々木信綱の四男氏信(京極氏の祖)が江北の愛知・犬上・坂田・伊香・浅井・高島の六郡を相続し、伊吹山(標高1337)の西側の山腹にあった伊吹山四か寺の一つ、太平寺(太平護国寺)の寺域に、その居城として築いたものである。

この城は江北屋形と称し、氏信以後、南北朝時代の京極高氏(道誉)や高秀、高詮を経て京極高清までの居城としてあったが、永正年間(1504~21)に高清が上平寺城に移り廃城となった。

現在伊吹町太平寺の集落は、大阪セメントの原石採集場に近接することから春照に集団移住してしまい、人は住んでいない。

「近江国坂田郡志」によれば、この上方600mに城跡があり、石塁などが残っているとある。