カオス 寿司店のメニューの読み間違いから

昨朝の千葉県東方の地震に、能登半島の震災が重なってきました。「スロースリップ」なる地殻の変動の件、報じられていましたがその地の最近の群発地震の発生はあまり気持ちのイイものではありませんね。

やはりどちらに住まわれていてもその恐怖から逃れることはできないのですね。

できれば「逃げたい」というのが本音なのですが。

 

扨、最近は時に酢飯を所望したくなります。健康に良いといわれていますからね。

半世紀以上前、小田原の母方の祖母すゞさんが健在の頃はちょくちょくちらし寿司を食べたものでした。

思えば、アレを作るのは相当の準備と労力が必要で、今はなかなかそれを家庭で調理するというのはできなくなっているよう。

よって「寿司が喰いたい」とあれば、「寿司屋にGO!!」というのが当たり前になってしまいました。

寿司にしろぼた餅にしろ以前はすゞさんの特製に舌鼓を打てせてもらったものですがそれはもう大昔の思い出になってしまいました。

母もその味を再現してくれていましたがそれも過去の話。

ここ数年は奥方より「家で揚げ物はしない」宣言が発令されて口にできる物のバリエーションはいよいよ減ってしまいました。

下手にそれについて各注文などつけようもなく。

「時代」なのでしょうね。

 

昨日は法縁のお話で「五濁悪時」「五濁悪世」など正信偈や阿弥陀経にある語について触れました。

それが仏教思想の基本である無常・不条理・人々に迫る理不尽の数々、その世の「背景」です。

いつものように「時の流れは恐ろしい」から始まってその四文字を示しましたが、他にお話を進めたかったこともあって、五濁についてはあとからお家に帰って「ググってね」。

まぁいい加減、私の話などそんなものです・・・。

要は「無常世界に生かされている私たち」の前振りですから私としてはそれでOKだったのですが。

 

本題はまた一つの仏教の意図する行動理念、「慈悲」でした。

そちらから歎異抄第四条について触れ(表白には歎異抄第一条添付)て実践しようとしてもどこかでどうにもならない限界と自らの愚かしさに気づくことの大事、他力の本願念仏の選択について話をすすめたいという主旨でした。

しかし何せトーク力のお寒い私の件、さぞかし支離滅裂、逆に混乱させてしまったかも知れません。

 

真宗の古典をそこかしこに導入したいという気が急いてゴチャゴチャになっているというのが私の最近の傾向でしょうか。

奥方から最近いよいよ老化の道を辿って話が長くなっている・・・とご注進いただきました。

 

③先日、息子のアパートに届け物をした帰りに、近くの廻っている寿司屋(お安い寿司屋さん)の席に。

メニューを見て固まって凝視したのでしたが、単なる私の視覚と日々の頭の中の混乱の問題でした。

メニューがテカっていてカマスをカオスと読み間違いしたのでしたがそれを横浜の「奥の墓道」氏に写メしたほど。

彼は「そんな寿司があるなら是非喰ってみたい」と。

五濁の中の混沌。まさに私のことでした。

 

①②は本山とそちらで見た掲示板。