長篠設楽原 関東衆馬上之巧者 小幡上総介信貞

 

前代未聞の師走の気温。小田原あたりでは26℃の夏日と。

当地ではそこまでいきませんでしたが朝から「暑い!」と言いながら半袖シャツ1枚になったほど。

 

本堂も暖かく、法要にストーブは要らないだろう・・・とは思ったものの念のため奥方が皆さんにお伺い。

90代のお婆さんがいらしたため、その方のために念のため一つだけ点火してその前に座っていただくことになりました。

すると法要終了後その方から「暑くて気分が悪い」・・・。

 

「年配者だから寒いだろう」の固定観念もオカしなところですが、こんな冬の気温もオカしい。

 

扨、昨日記した交差点脇の甘利の碑。

その近く、一段上がった丘の途中に今一つ石碑と墓碑があります。

小幡上総介信貞とあります。

とはいいながらも信貞の墓ではないような。

信貞が小幡一族の為に墓もしくは祠を建て、専従の僧を置いたのではなかろうか(数基の卵塔から)・・・などと想像した次第。

 

小幡氏は滅亡は免れるものの不遇の選択の連続。

本領の上州国峰城は皮肉にも奥平信昌が治めることになります。

上州からはるばる奥平氏の領地にやって来て一族は武田軍とと

もに総崩れ、この地で多くの縁者を失いつつ本貫地に帰還するもそちらはその奥平氏によって追い出されるハメに。