結構強めの雨。
午前は来客を本堂に通しましたが(ストーブ常設で気軽に暖をとれるため)堂内は意外に温かく蚊二匹の襲来があったほど。年末年始も暖かいとの予報が出ていますがそうであったらありがたし。
午後は雨があがりましたが私はずっと自宅にてここ数日控えている法要の用意を。
とは言いながらも映画視聴タイムもありました。
「生きる LIVING」を視聴しました。
昨年のイギリス製の映画ですが1952年の黒澤明の『生きる』のリメイクになります。
先日拙ブログで「ステージ4」なる語を記しましたが医師から「余命半年から9カ月」を宣告された主人公。
お役所の課長職という設定は原作とだいたい同じです。
その残された「時間」の中でこれまでの自分の過ごして来た生き様を見つめなおし、何とか生きて「変化」していくというおはなしです。
カズオ・イシグロの脚色、挿入歌、主人公も歌ったスコットランド民謡「ナナカマドの木」、曲調もまた詩も悪くない。
やはり「時間」の経過とむかし懐かしさ、哀愁が漂います。
子供の頃、夕時に母親が子供たちを呼びに来て遊び足りない子供たちが駄々をこねるなどの件、死期の近づく私に阿弥陀さんが「そろそろだよ」と声をかけてくる様を連想。
それでも「まだまだ遊ぶ」(生き足りない)というバイタリティはある意味あってもいいと思ったところ。
私も「その時」ともなれば彼と同じ思いをするのでしょうが考えてみれば病気の有無にかかわらず既にその意気で生かされているというのが僧侶というものですからね。
ただし実際のところ「その時」どういう心境となるかはわかりませんが。
まず視ていただきたい方たちといえば①余命宣告を受けた人、または②何らかの病を抱えて心が揺らいでいる人、そしてすべてのお役人さんたちでしょうかね。
何分その宣告を受けての「変化」とは主人公のお役所の仕事の内容が主に描かれていましたから。
映画とは関係ありませんが「変化」は怖いものです。
仏教の言う「無常」ですね。
昨今思うこと・・・私の言葉遊び失敬。
「勝ち組と 余裕前途の 皆の衆
実は負け組 外れ出直し」。
アベハとやら御一同と日大のアメフト部の書生さん方を見て。
前者は自業自得。どうでもいいところですが後者でとばっちりを受けた方たちは今後うまく出直していただきたい。
余命宣告ではありませんし勝った負けたの今の現実は有無同然。出直してくだされば。
扨、昨日は既に何度も記している設楽原の決戦場について。
しつこいですね。本日も・・・。
これから「また行こう」という史跡研究会の皆さんがいらっしゃいますのでこちらにて今後も適当にアップしていくかとは思います。
その設楽原の墓石関係でこれまでブログに触れていなかっただろうと思う(まったく自信がありません)墓碑が昨日記した「本戦会場」馬防柵入口とも言える柳田橋近くにあります。
それが「甘利郷左衛門信康の碑」。結構目につく場所にあります。
場所的には「山県の碑より凡そ120歩」(設楽原戦場考)。
天王山、設楽原歴史資料館への上り口と市道が交わる交差点です。
ただしこちらの碑についての検証は甘く、甘利のどなたかは確定していなさそう。吉田砦の甘利四郎三郎(森鴎外『佐橋甚五郎』)もありましたが・・・。
設楽原戦場考では甘利三郎四郎晴吉とは考察していました。
「信康も晴吉も共に武田左軍の第五陣にあり、山県最後の戦闘に加わり戦死」とあります。
地元の言い伝え『長篠合戦余話』では信康は柳田地区の住民を呪う言葉を吐き、庄屋の屋敷門扉に寄りかかって、立ったまま腹を切ったと。
これは長篠城包囲の余裕の勝戦を思わせる戦況から思わぬ酒井の奇襲にあってから包囲戦が瓦解、なりゆきで設楽原におびき出された武田軍でしたが、山を下って目前に築かれた堀と城壁・・・連吾川と馬防柵・・・を見て「してやられた」を思ったということでしょうね。そして単純に短期間にそれだけの構造物は地元の民たちの支援がなければできなかったはず。
呪いたくもなるでしょう。勝ったと思えば負ける。それ鉄則。
重ねての柳田橋からの図。
奥右が馬防柵。山のトップが信長の陣。左方向が家康の陣。
⑤は昨日と同じ長篠合戦図屏風の現地標識。
⑥は橋から東側を振り返った図。右下に石標が見えます。
その先の丘を登れば歴史資料館。
丘を登らず交差点の角に甘利の石標が。
一石五輪塔残欠は後付けのものか・・・それとも当初から・・・縁者が建てたものかも知れません。
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お祭り大好き (土曜日, 16 12月 2023 09:59)
8月15日夜に「長篠・設楽原の戦」の戦死者を供養する大松明に点火した「信玄原の火おんどり」が毎年執り行われますが、竹広地区の保存会員は夕刻に柳田橋付近で連吾川に入り禊を斎行した後に火おんどりを務めます。 竹広区の方々は、7月の「設楽原決戦場まつり」ともども今でも両軍戦没者の供養を続けています。 「信玄原の火おんどり」は、元庄屋で山縣昌景墓所を護っている「火元」が大苦労して火起こしで種火を作り、暗闇のなかを大松明の行列で信玄原に進み、大松明数10本を乱舞させる勇壮な行事です。 設楽原歴史資料館の駐車場が利用できるため、一度ご観覧をお勧めします。
今井一光 (土曜日, 16 12月 2023 20:14)
ありがとうございます。
火おんどりについての色々は耳にしていますが、なかなかそちらに向かう機会がありません。
私はどうしても周囲に人影の少ない野山に風に吹かれて佇む墓塔たちに気持ちが向かってしまいます。
その怨み辛みの声に耳を傾け「よく聞いてくれた」との声なき声を妄想しながら念仏の一つもあげ「じゃあまた来させてください」(それまで何とか無事にすごさせてくださいね)とこっそり対話することに楽しみを得ています。
そしてその供養とは一声の称名と合掌のみであるというのも当方宗教的感覚です。
独りあるいは少数でお参りした方がお相手は「おおお前また来たか」と気づいてくれると勝手に満足しています。奥方は「分裂ギミ」と言いますが。