設楽氏来迎松城の宝篋印塔 何から何までわからない

 

無風で気温も高め、絶妙な外仕事日和。

クスノキの枝払いのヘルプをタノムと奥方に。

しかし他にやることがあるとそれは和えなく却下。

鐘楼裏の木で、かなり気を使わなくてはなりませんのでそちらは日延べにして松の剪定で午前の時間を費やしました。

午後15時からは法事の予定がありましたので1時過ぎに終了。

その時間でのスタートは異例ですが、それは長野から電車を乗り継いでやって来られるということで・・・。

自家用車でなく在来線とバスの利用だったわけですが、旧相良バスターミナルが無くなっていることを知らずに乗り越して大沢まで行ってしまったと。

 

相変わらずその件触れない不親切が継続していることがわかりました。

地域を走るバスなどここ30年以上、乗ったことがありませんので、中の事はサッパリわかりませんが。

長野の寒さと相良の温かさについて評価いただきましたが、それにしても昨日はあまり比較にならないようなポカポカ陽気でした。

 

扨、昨日のステキな名称の来迎松城でしたが、何のことはないあのぼた山のトップににあるのは稲荷社でした。

歴史的遺構であることは確かな地ですが、そういう場所にこの手の社が建てられるのは、近年の地域土俗的素朴短慮の傾向だと思いますし、この城址とは無関係と見ますが・・・。

 

画像自体新しいものではありませんが、更新されていない城址の標識(判読不能)に草むらに覆われた社周辺を見て、殆ど人が訪れず放置された感がありました。

また昨日の画像を見て気づかれた方もいらしたかと思いますが宝篋印塔の相輪部分が見て取れました。

それはまさしく宝篋印塔そのもので、その草むらから頭を覗かせていたのでした。

 

この手の比較的大型の宝篋印塔はこの界隈に少なし。

時代的に「南北朝以前もあるかも・・・」などと思ったくらいでしたがもしそうであったとしたら、何故にこちらの風雨に晒されるようなところに放置されているのか、大いに疑問です。

大抵の宝篋印塔は相輪上部の破損や紛失のあるものばかりですが、こちらは完全を留めています。人為的なものから免れていたということもあるかも。

隣には小振りの宝篋印塔に、五輪塔残欠らしき石材も。

こちらに上げられた経緯はわかりませんが、財力ある領主系の墓と見るのが通例でありこちらが設楽氏に関わる城址ということからその系の墓ということが推測できます。

私の短慮。

キツネを追い出してこれら宝篋印塔たちを納めて覆堂とすれば・・・などと。

今一度この城の調査を試みるべきでしょうね。