川路の大久保兄弟布陣跡と藪の中の金毘羅

朝起きたら室内13℃で外気温は7℃。たまげましたね。

川根では氷点下だったといいますから・・・

数日前に奥方から「そろそろ灯油を仕入れよ」の指令に「笑止 まだ早い」と一蹴していましたがその件、後悔させられた次第。まさかそれほどまでのイキナリ「冬の到来」を味あわされるとは・・・

幾度かその雰囲気を記していますが1週間前までは「夏」を思わせる日々を過ごしていましたから。変化は激しい。

 

変化といえばお偉い方々のスグ首(更迭)となる「適材適所」という人選というヤツ。ころころと首が据え変わっています。

人選は適当・・・テキトー、いい加減だったということでしょうかね。

 

それだと首相の任命責任を指摘されますから、その件「良い加減に」です・・・とでも仰るのでしょう。暖簾に腕押し。

 

その適材適所にはいろいろウラがあることはだいたいわかりますが、本当の適材適所の人選のお仕事・・・身体検査は週刊文春さんに投げちゃえば・・・と思うことしきり。

まぁ立て続けというところ、ロクなメンバーがいないということなのでしょうね。

 

扨、昨日は高坂源五郎昌澄の墓を記しましたがその地から連吾川沿いの藪に大久保忠世と忠佐の兄弟が布陣した地があります。

設楽原徳川軍の最右翼になります。連吾川はありますが馬坊柵はありません(場所はこちら)。

武田軍の敗色が濃くなり勝頼の撤収に伴って設楽原の本戦地に収斂していくわけですが大久保勢はそれを追撃していったのでしょうね。

「膏薬」(付いたら離れない)と讃美形容された大久保勢、敗走する武田勢はたまったものでは無かったでしょう。

 

その地の近くの藪の中に金毘羅さんがありましたのでぶらりと寄った記憶があります。