等持院事件 等持院の芙蓉池 十三重塔

先週末、地元のお店の企画「駅弁大会」に行った奥方が「殆ど売り切れだった・・・」としょんぼりしながら帰宅。

買い物のついでに昼食を購入しようとその店の棚を覗いたそうです。

少々の残りものはあったそうですが北の名物は少量で高価ということで手が出ないとも。

 

私には「豊川の稲荷ずし」を差し出し「コレで」と。

濃い味のそれは私の好み、十分満足、美味しく戴きました。

奥方は冷凍室からパンを出して適当に済ませたようでした。

 

その後、その「駅弁大会?」で出品され、早々に売り切れしていた、人気の青森の駅弁屋の商品を食した人の七転八倒の症状をニュースで視聴しました。

県内だけで86名が発症しているとのことですから、かなり確率が高いような。

ごはんが糸を引いていたといいますが、恐ろしい。

奥方からそれが提供され私が苦しみを得たとすれば「毒を盛った、盛らない」の険悪な雰囲気になることは必至。くわばらくわばら。

奥方はこんな時期に「その企画は無茶だろ」と。長距離搬送の途中のどちらかで「菌」の繁茂する時間があったのでしょうね。まだ空気は夏です。

 

と笑っていれば息子から連絡が。

その弁当ではなく友人ら4人で浜名湖でバーべキューでの話。

安売りマーケートのド〇〇で海産物を購入して食したところ同様に「七転八倒」の苦しみに至ったといいます。

息子は下痢程度で済んだそうですが、他には夜間一睡もできずに翌日病院行きになった人が二人。

食中毒というものは、自らの意思で毒を(毒と思わず)摂取する忌まわしいものです。

症状発現は体調によっても変わりますが、摂取量によって大きく違ってくるともいいますので、質もさることながら、量も気を付けていかなくては。

要は店頭にあるものであっても、100%の信用がおけないということでしょう。

駅弁当の食べた人の証言では「糸を引いていた」以外に「一味違っていた」ともいいますので、その判断(食を断念)はその後の状況を変えてしまいます。

レシートを持って突き返すことも頭に入れておかなくてはね。

それにしてもあれだけの不祥事、お店の方も信用を失くして大変です。治療費等の弁済も必然でしょうね。「返金させていただきます」では済まないでしょうね。

尚、息子たちはその件、お店には何もクレームを入れていないようです。

 

私はそれに「泣き寝入り」の大甘は自由だが、残りのブツが残っているならレシートを持って「おいおいおい」という具合に「店長さんいる?」と押しかけるのが普通の社会人と注進。

そんなことをしても門前払いだろと言いますので「こう言ってヤレ」と。

「そんじゃあ、今から保健所に行きま~す・・・」(検体持参で)と捨て台詞を吐けば大抵は「お待ちください」になるよ・・・と。

こじれて腹が立ったら、診断書持って「裁判所へ」の方向もOK、頂戴した苦悶のお返しはしっかりとするべきだと言いました。

 

食品衛生の責任者にはその語(保健所)には弱いものです。

菌が出れば営業停止のペナルティもありえますからね。

 

扨、等持院の芙蓉池つづき。

かなり以前、私が東武東上線の、確か大山駅の駅前商店街を歩いている時、大きな看板を持った人が立っているのが目に入りました。真昼間です。

それは各々ありがちな怪しげなお店の勧誘ではなくその人の主張が記されていました。

「我こそが皇室の正当な後継者」との主張ですが、要は今の北朝系ではなく「南朝系である私」が本質であるというもの。

どなたも我関せず、見向きもせずの躰で歩を進めていましたが私はあの時、まじまじとそれを拝読させていただきました。

まったくその人の事を知らず、真に受けることはできませんが、インパクトだけはありましたね。

「南北朝の名残をここまで・・・」とその人の出自にまで興味が沸きましたが、やはり「深入りは禁物」の抑制の心に趣向は打ち消されてすれ違い通り越した覚えがあります。

 

等持院にはその主張を思い起こさせる歴史がありました。

等持院事件(足利三代木像梟首事件)というものですね。

幕末の京都不穏の時節、等持院霊光殿安置の室町幕府初代足利尊氏、義詮、義満の木像の首と位牌が持ち出されて首は賀茂川三条河原に晒されたという事件。その罪状が「正当な皇統たる南朝に対する逆賊」でした。

単純に室町幕府(武家政権)初期の三代の時代に傀儡の皇室天皇家を樹立(北朝)したのであって南朝こそが真なる系統であるとの意趣ではありますがこれはある意味「=倒幕」の主張であって、幕府側としては当然に放置はできません。

それを処断し新選組を導入した京都守護職松平容保の会津藩が討幕派の目の敵のイメージのきっかけとなった事件でした。

 

霊光殿にある歴代将軍の一部+家康+αの木像は撮禁。

十五代の供養塔であるという十三重塔と⑦有楽椿(ワビスケ)。樹齢は400年以上といいますが・・・

寺に秀頼の手が入った際、植樹されたそう。

この珍品初見でしたが花を見なくてはお話になりません。

⑧は「芙蓉池に 風あるやなし  落花舞ふ」の歌碑。