不登校の子たちクラスに1~2人当たり前 真福寺宝塔

現状、不登校承認の教育界の変貌の様。

「学校に行かなくてもいいんだよ~」「学習は学校だけじゃないんだよ~」と子供たちの選択肢の存在を強調「無理すること」のナンセンスを説くようになっているようです。

 

私ども世代からすればそれはそれは驚きですね。

学校は行くのが当然、風邪・腹痛くらいなら「這ってでも」と親たちに言われ続けてその時代を過ごしてきましたからね。

母親でさえ寝坊の私に対し箒を片手に布団を引っ剥がして「掃き出す」と脅していましたから。

そういった世代ですから、骨折しても出社するなど根性論で生きることが醸成されてきたのかも。

今考えると親の指令「絶対登校」の選択肢ナシの件はこの人生において「悪くなかった」と思っていますが。

 

学校に行きたい人はそれでOK、行きたくなくても尻を叩かれてイヤイヤ行って過ごしての我慢・忍耐もOK、そして今や学校にも行かなくても全然OKの発想が「当然のこと」になっていたのですね。

親や世間に気を使って生きることは子供たちは疲れるでしょうが、それはそれで親も大変だ。みんな「しんどい」のだね。

親・教育者の悩み、増えますが、社会はその不登校の子供たちを余裕で受け入れられる箱―フレキシブルな―を用意する必要に迫られているよう。私の頭の中も・・・

 

しかし、しかしながら「ゲームやりたさで通学したくない」の子供もいるようで・・・どうしたらいいのだろう。まだまだ理解力がない私たち。奥方も、息子がそうなら「ブン殴る」と言っていました。

時代の変遷と一言で諦めるのではなく何とかしなくては・・・との思いはありますが。

基本は「子供にまかせる」でいいのでしょうがね。

不登校生徒は今やクラスに1~2人の存在は当然といいますね。

それとは違うものですが、私がお世話になった会社でも部署に一人は鬱病出社不能の方がいましたね。

学校へ尻を蹴り上げて無理やり登校させると「壊れちゃう」というのが昨今。どうする少子化社会。

ただでさえ子供が少ないのに・・・

 

画像は昨日の続き、真福寺。

参道を登りきると宝塔がお出迎えしてくれました。室町初期の建立といいます。これほどの仏塔に遇えたことはうれしきご縁でした。