井田野西光寺 内藤義清夫妻の宝篋印塔

名目のお盆休みは15日までですが、実質は20日の日曜までという方たちもたくさんいらしたはず。それが昨日の感。

「奥の墓道」氏は16日からの仕事のために横浜に戻りましたがリッチな休暇を得ている皆さんはその20日までというのが実際でしょう。

夏休み真っ只中という季節もありますが市中にはまだ「人が溢れている」感が残ります。

 

静岡県には静岡ならではの混雑指標があります。

それがハンバーグ店「さわやか」(静岡県内にしかない!!)の各店の待ち時間案内。

そのサイトを開けば店内に着席するまでの待ち時間がわかるのですが、東西県境、特に休日昼前から夕刻までの御殿場店などまさに常軌を逸した待ち時間を提示させています。先日は「300時間待ち」など目にしました。

 

私どもがお世話になっている直近の吉田店がその中で最も待ち時間が少ないということで有名なのですがそれでも私どもは入店の時間差を試みます。

昼でも夜でも平日15~16時、それ以外の場合は諦めるが肝心と心得ています。時間が勿体ない。

 

先日のお盆休み中も「奥の墓道」氏からリクエストがあってそのサイトを見廻していましたが唖然呆然オンパレードでした。

通過した菊川店の駐車場には「満車」のプラカードを持った警備員まで出ている始末。勿論今回もパスしましたが。

彼は「静岡の幻の食べ物」と化したと。

 

昨日は19日土曜に横浜で催される法事の出仕依頼がある息子が浜松からの途中、当地に立ち寄りました。

すると15~16時に吉田インターを降りるので「そちらに集合」の号令がありました。

しかし土曜日ですからね。

 

じじーになると「大の大人がアホ面晒して・・・(待っていられない)」の甲斐性なしの自虐しか出てきません。

無理なのですよ、そもそも・・・

 

扨、井田野西光寺(昨日ブログ)の墓域。

①は千人塚方向を背にして西光寺を見たところですが、その新しめの墓石の中に、石塀に囲まれた、とても狭い空間があってその中に二基の宝篋印塔があります。

そちらが内藤義清夫妻の墓域でした。

 

先日は隣松寺の内藤清長(碧海上野下城)の墓を記しましたがその人の父母になるかと。

その空間には概略記された墓碑が添えられていますが狭い空間のため正面からの撮影はできませんでした。

 

内藤家といえば竹千代(家康)乳母の松・・・内藤新右衛門勝重の妻ですね。

伝承不詳のところありますが勝重は三河芦谷(幸田)に居を構え、長沢の松平康高に仕えていたところ、竹千代の父廣忠のもと岡崎に出仕したといいます。

内藤の名を確たるした因ですね。

 

また内藤義清の出自は近江説三河説各あるようですが、家康の祖父清康に仕えて岡崎五人衆(他は石川忠輔・植村氏義・天野貞有・林忠満)と呼ばれ井田野合戦では大いに暴れたといいます。

系図には出ていませんが、義清の娘は石川数正の室に入っています。

 

⑧一石五輪塔は別の墓域にポツンとさりげなくあったもの。

華が添えられていました。