明るいうちはポツポツ程度のものはありましたが結局まとまった雨はありませんでした。
厄介なことになるや、の想いがありましたが、その日午前の栗ノ原霊園の墓参は無事に済ますことができました。おかげさま。
夜間はNHK「紫電改 最後の戦闘機」を視聴。
1979年に放送されたものです。その前年に愛媛県内の海で発見された紫電改にまつわる番組。
資料により墜落着水した搭乗員の特定に「6名」の可能性の存在が判明しその家族たちへのインタビュー記録でした。
驚いたのは、搭乗員の母親がまだ健在健勝でその思いを語っていたこと。
50年弱の年月が経っているのですから当然なのでしょうが。
母の言う子供たちの言葉は「お国のため」。
盂蘭盆の謂れは「自分の為」ではなく「他の為に等しく」一所懸命~その字面は番組にも登場していましたが当時は「一生」ではなく「一所」だったことがわかります~に働く(・・・忠恕)ことが重んじられる教えでしょうが、その忠恕(論語)もそうですが盂蘭盆経も中国系、儒教の思想が色濃くあるようにも見えます。
古来から仏教に当然の如く浸潤してそれが今あるのですが、その「他の為」の思想はなかなか素晴らしい教えではあります。「滅私奉公」しかり。
その語「お国のため」を耳にすると「盂蘭盆 ちょっと待てよ・・・」の想いが・・・。「一人より千人・・・」の語も思いだします。
8月15日、自らの不出来と漫然を反省しつつ今私があるという「御有難さ 御うれしさ」を「南無阿弥陀仏」の御礼の称名を申して合掌するのみです。
扨、井田城について記しました。その井田城址碑の裏にありましたようこの地区は井田野といって家康以前の松平4代の親忠が近隣土豪や尾張勢と激しく争った場所。
ひょっとして三河武士にその忠恕の情が中心的思想にあったかと。
こちら井田野は数々の戦闘が繰り広げられていました。
その井田城址の近隣、北東方向に行った住宅街の一角のぼた山に千人塚と呼ばれる墓域があります(場所はこちら)。
中央に建つ石碑。正面「南無阿彌陀佛」
左側面「井田埜戰亡精靈金臺」
右側面「元禄九丙子年八月五日 大樹寺廿八世忍譽碑銘焉」
宝篋印塔残欠が僅か、碑たちの後ろ側にコロっと。
これが一番に古いものでしょうね。
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