松井忠次顕彰碑拓本が会場でお出迎え 岩瀬文庫

朝はいつものクマゼミシャワーから始まりましたが比較的風があって涼しさをも感じました。

8時30分(広島原爆投下時間)前には恒例となった鐘撞きのために近くのご門徒さまが鐘楼の上でスタンバイしていました。

セミの声に負けじと思ったのでしょう、相当の強さで撞かれて、大音声を響かせていました。

鐘が割れそうな気がして・・・心配。

午後からは天候不順。

昼近くから時々強い雨が降ったりやんだり。

台風に近い甲子園球場が晴れ渡り、私どもの相良がこのザマとは・・・イラ付いたのはその中で水道管工事をしなくてはならなくなったから。

 

「水屋の水が出ない。途中でパイプが外れてるよ~」とお参りの方から知らされました。

排水溝に這わせているパイプのジョイント部分が外れていました。

雨のやむ間に対応と対策、切ったり貼ったり、部材は在庫のもので対応しました。

パイプとジョイントするソケットの接着がうまくいかない理由は排水溝の中とはいえパイプが露出しているためにパイプが熱により変形(伸びている?)していると判断。

パイプを購入に走って何とか復活したという次第。

 

奥方は日曜の水道管トラブルというもの、彼(息子)だったらお手上げだろうと。雑務も寺の仕事ですから徐々にいろいろ覚えていって欲しいものです。

 

それにしても毎度おバカだな~と自覚するのは水道の元栓を閉めているにも関わらず、蛇口を回してハッと気づくこと。

そしてその時初めて、「水道から水が出る」ことにその偉大さを感じるのでした。

 

夜間は21時近くまでやっていた「甲子園」を視聴したあとNHK総合に。

広島・長崎の惨禍はじめ今の「核ある世界」の大元を築いたベルギーのウラン商人エドガー・サンジェのお話でした。

コンゴの鉱山会社からたまたま出てきた高純度のウラン鉱石を日本と戦争になったアメリカと独占契約して大儲けした人。

そしてアメリカは「戦争終了を早めようと」それをやむなく使ったのではなく、ハナからその異次元の殺傷能力を持つ新兵器を世界に披露して「主導権」を握り、君臨することに意図があったという示唆。

皮肉にもそれ以前にコンゴにてナチスに接収されていたそのウラン鉱石の一部をソ連がドイツ国内で探し出し核融合に成功、アメリカに追随することになったというところ。

 

「タラレバ」ですがその鉱山でそれが発見されることが無ければ「広島・長崎」も今のような「核の脅し」の通用する世界にはなっていなかったかも。

大多数の不幸と巨額の富(金儲け)、どこか繋がっているような。

 

扨、花岳寺境内に移転建碑された松井忠次の墓。

彼を讃える顕彰碑についても昨日画像をupしていましたが、判読についてあれは不親切すぎました。

岩瀬文庫の企画展にイキナリその拓本が掲げられていましたのでそれについて転記させていただきます。

 

①②松平康親(松井忠次)顕彰碑拓本。

延淳二(1745)年に松平康福が石見浜田城主時代に建てたといいます。

碑は駿州三枚橋城主~から始まります。

 

③は松井忠次の墓の様子。

西尾一色、三河湾に浮かぶ佐久島からの泥岩製の蓋石があったようですがそれらを含め土中の圧であの骨蔵甕は崩壊してしまったのでしょうね。