昨日の当地は梅雨明け宣言と。
人間が決めることで如何にも形式的な季節のイベント?でしたが、やはり外は朝からスカっ晴れでクマゼミのシャワー。
いつもと変わらぬ夏が来たようです。
私はこれから再び始まる連続する法要の準備と過去帳追記等のデスクワークを慎重にかつ淡々と行ったあと、外に出てしばし境内での庭木いじり。
息子は浜松から横浜へ法事のために向かうとのことで「何か喰わせてくれ・・・」と立ち寄りました。
しかし交通費、疲労度アップのリスク度外視の仕事ってどうよ・・・の疑問が奥方からありますが、息子は依頼されての「顔つなぎ大切」も当然ながら、そもそも法事・法務が嫌いではないようです。
寺の継承者として期待した家の子が「イヤだ」を主張して逃避してしまうことなどよく聞く話ですから、彼の今の状態は有難いことです。
ちなみにどちらかでも記したことがありますが彼は外に出てアルバイトの類のお仕事は一切経験がありません。
これまで仏飯を食む一本の「念仏人生」ですからある意味スゴイことです。
しかし学校だけで社会への順応性というものが身に付くものなのでしょうかね。
時として悲しみの感情溢れる人々と対することありますからね。
そういった特殊の場に赴いてどのようにその時間を過ごしているのか私にはわかりませんが、「またタノム」といった、いわゆるリピートがあるというところ、まぁそれなりにやっているということなのでしょう。
先般某所で催された葬儀に息子が向かいましたが、故人も施主も超有名大学の教授(ウィキペディアにもその名が登場するくらいの方)だったそうで、「その緊迫の場でどんな話をしてきたのだ」と問うも「秘密」とのこと。
当家において、まったく信じられないようなことが起こっているのです。その後再びその御家からの法要を依頼されていました。場数を踏ませていただき本当に有難きこと。
扨、先日は西尾の岩瀬文庫に奥方と向かったことを記しましたがその帰途、法蔵寺に寄りました。
成瀬藤蔵の三方ヶ原戦供養墓のお参りを兼ねてその後の状況確認です。
五月に「奥の墓道」氏と寄った際の墓塔周囲の状況よりも悪化していました①。
どちらかの時点でキレイにされるところ毎度拝見していますが、私がそれを見て見ぬふりをするのは罰当たりモノ。
よってその日は剪定ばさみを持参していました。
藤蔵の墓を中心に「仕事」をさせていただきました②。
基本、こちらの墓域も縁者が見ていくことは当然のことと思い(東側の一列はキレイに刈られていました④)ここにきて初めて正義の墓塔を覆う木を取り除かせていただきましたがこちらの存在、祖父からも父からも聞いていませんので縁者の参拝も下手をしたら400年のブランクがあったかも知れません。
不思議なことにいろいろ、心軽やか、ハッピーな気分が送れています。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ともうすは
かようにやすくたすけまします
御ありがさ
御うれしさをもうす
御礼のこころなり」 (疫癘の御文)
③は先日(上記リンク先)記した碓井姫と矢田姫。
奥方に「こちら(墓域)を全てキレイにしたら・・・」と振ると 「朝からここだけの仕事を目標に来るしかない」と少々前向きだったこと、驚きました。
息子にも「気にしろ」と伝えて行く所存。
奥方はあの時、彼に電話で「法蔵寺にいるが法蔵って知っているか?」と。こちらでは阿弥陀如来。
尚、大河ドラマの影響でしょう、正義のお隣の夏目の墓塔には幾らかの賽銭が。以前はそのようなことはありませんでした。
そして三方ヶ原戦没者のうち夏目と鳥居以外の標識はありません。
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