西の谷 大鱸谷の名称 南の谷 成瀬谷の標消滅 

昨日はこの時節ならでは、沖縄への未練をたらたらと記したのですが、沖縄好きには最高の季節。

7月に入ってしばらく、台風というハズレくじをひく可能性がありますが、梅雨明け後の10日はまず超がつくほどの安定期。

そして夏休みともなれば、問答無用の観光客が大挙しますので沖縄はこれからが繁忙期に突入します。

 

ところがコロナ感染者が再び増えているというニュースがあります。

9波の襲来の予想ですが、これまでも沖縄の増加が内地の大波に通じるところ大ですので、まずこれからその話でニュースでもちきりになるのでは・・・

なぜならば沖縄観光でそちらに向かった私の同類が内地にウィルスを持ち帰ってくるからです。

エアコン密室の機会の多い夏場は感染率は高いはず。

 

昨日は「奥の墓道」氏にお盆休みの件「何時ごろの帰省か」を尋ねるも「9波繁盛の時期」と。

実は私はその件予想していました。

夏から秋にピークアウトし、鎮静安定期に向かったところで拙寺バスツアーを開催するという算段。

「何事も思うようにならない」ということも了解していますが。

 

 

扨、息子の浜松住まいとなって以前に増してお気軽となった浜松ですが、当然に宗源院の藤蔵の墓にも顔を出す機会は増えました。奥方なども「勝手知ったる」の躰で駐車場からもたもたしている私を置いて、墓前にて先にお参り。

しかしあの五輪塔は全体後補の感ありますね。

 

右下の自然石に刻まれた「成瀬」の標とその前にある一石五輪塔の残欠の方も心を込めて参詣。

どちらかといえばこちらが当初の墓標というのが説得力というか納得ができます。

他所では発掘されたどなたかの五輪塔をテキトーに置いているかの様も見受けるところですが。

この季節は蚊の襲来が酷くて一刻も早く退散したくなる始末です。

 

その墓の南側の谷が以前から言われている「成瀬谷」。

要は蜆塚一丁目の南側の低地全体をそう呼んでいたようですが地元有志の手で一時期「成瀬谷」の標識が建てられていました。そちらのみを限って言う名称ではありませんが。

 

その谷間を以前からふらふらと見て回ったことがありましたが正義が討死した場所を特定できるはずもなく、そんなものかと急傾斜地指定が散見できるその住宅街を毎度後にしていました。

 

ところが「成瀬谷」の標が「実はある」という情報を得て、それではと、地元の知者にその地を伺ったところ「以前はあったが知らないうちに消えた」と。

場所まで教えていただきましたので一応。

地番を記せば浜松市蜆塚一丁目6の南西の角(場所はこちら)。

アパートが建って青い自動販売機が目印。

「多々見クリニック」の3軒ほど坂の下という感じ③④。

奥の木々が見える辺りが宗源院になります。

 

⑦⑧は宗源院の西側の谷。

古くから大鱸谷なる名が残っているようです。また「うとう坂」「歌う坂」なる坂の名称があったそうですがやはり「伝えて遺す」ことは大切です。シャレた名前です。

でしたら「成瀬谷」の名称もタノムよ・・・というところですが、住宅街の家々は比較的新し目、そんな名称を知っている住人は皆無の様、もはやどうでもいいというレベルなのでしょう。

①は宗源院本堂②正義五輪塔。

 

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コメント: 2
  • #1

    がつお (火曜日, 27 6月 2023 11:15)

    成瀬谷の標識、グーグルのストリートビューだと2012年にはあって2014年には無くなってますね
    脇の電柱を移設したときに一緒に抜かれてしまったんでしょうか

  • #2

    今井一光 (火曜日, 27 6月 2023 20:29)

    ありがとうございます。
    浜松城下、数ある有名無名そして後付けの家康関わりの地のうち超ド マイナーの名称、致し方ないことでしょう。
    ストリートビューの時間軸の違いは地形等変更箇所がわかって意外に面白いアイテムですね。私も何度かその現状との違いに遭遇していますが、更新上書きされれば消えてしまいます。
    消えてなくなるというのは人間社会の宿命であって消えたものに関して未練を抱いてもしょうがないのですかね。
    歴史の視点に立つと「消え去ること」に未練たらたらになる私です。