西浅井町札木 源空院浅井寺 古矢作川

当地には朝から強い日差しが降り注ぎました。

私はやりかけの風呂場脱衣場の戸の仕上げを行いました。

脱衣場ということもありますが木板にカビが生えることが予想されますのでそれを阻止するための塗装作業を。

天気良好につき、あっという間に乾燥して、夕刻前には装着できました。その引き戸④は中央分割部分上下ともガラス板でしたがこれでその破損散乱による通行不能のおそれは解消できました。

奥方は「西部劇調?」とのことでしたが私にはその意図はありません。

 

昼過ぎに沖縄時代の友人が来訪。

茨城からでした。

近くに来たので「お参りだけ」とやってきてあっという間に帰っていきました。

本堂に案内して「久しぶり」と沖縄話になりました。

拙寺が度々の火災によって当地に落ち着いたのが240年ほど前・・・と紹介をすると、沖縄といえば先の首里城の大火の印象が強いものの当時、身近なところでは大きな火事は無かったという話に。

 

救急の出動といえば交通事故(特に飲酒を伴う)か海難事故が主でした。

あの頃は飲酒運転当たり前の時代、ビーチパーティなる騒ぎが適宜催されて、皆泥酔して平チャラの躰で帰宅していましたね。

赤信号の信号待ちと同時に睡魔に落ち入り交差点で「熟睡していた」などの猛者もいました。

結局は事故を起こしてしまうわけで、命を落としたなどいう話もよく聞いたものです。

スコール後などあちらの道路はよく滑るということ、夏場の暑さによる疲労で居眠り運転の結果事故を起こすなども。

関西系の年下の連中に「車を貸して」などよくあって、彼らの夜遊び、無事帰るまで冷や冷やでした。

 

彼とは「今度はゆっくり」と再会を期して別れました。

茨城往復ご苦労様でした。私には真似できない。

しかし奈良京都となれば話は別ですが・・・

 

扨、支離滅裂ブログ、本日は西尾の源空院。

源空院浅井寺とも(場所はこちら)。

以前数度にわたって近くの宿縁寺(または  )ついて記しています。

この辺りは西尾市になりますが近くの矢作川の向こう岸には成瀬正義が居た木戸城長因寺木戸観音があり、また宗旨でいえば本證寺の地盤といった場所になります(こちらは安城市)。

木戸城址の堤の上からその川向を眺めたものでしたが、この源空院こそ、その「お向い」になる地になります。

 

「源空」の名を聞いて当流の方ならばどなたでも即答できるでしょうが「?」の方もいらっしゃるかと思いますので念のため。

先日記した親鸞さんご指名の七高僧のNo.7「法然さん」と言い換えた方が早いですね。

正信偈に登場する際も「本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人」と「源空」になります。

「善悪の民を分かつことなく・・・」のところですね。ありがたい言葉です。

よってこちらのお寺の宗旨は浄土宗。

 

この矢作川ですが、かつてはこの地で大きく南下して三河湾に注いでいたのでした(矢作小川)。

源空院の住所地が「西浅井町札木」とありますが、矢作川流域の高札場(渡し?)があったことが推察されます。