昨日は早々に横浜へひきあげるという「奥の墓道」氏が朝から御前崎海岸をブラつくというので「なぶら館」にておち合いました。私どももそちらにて用事がありましたので。
そこで驚かされたのは駐車場。
ほとんど満車の図と人が溢れる様で他県ナンバーだらけでした。何しろこれは通常目にしない状況ですからね。
メロンの切り売り販売なのでしょうか長蛇の列になっていました。当地ではそれほど珍しい物でもないのですが。
彼の横浜への反転が早かったことはそういった列の一員を為すことを嫌ったことに相違ないところですが、私も彼も人混みに関しては常々忌み嫌うべき態と心得ていますので十分理解できるところ。何かに整然と並ぶなど「吐き気がする」行為と。
やはりまた朝から信じられないような高速道路の渋滞状況が報じられていました。
私にはその忍耐力はハナからなし。
彼が帰郷した際は私が金谷まで迎えに行きましたが昨日は家族が焼津駅まで届けたそうです。
以前には神奈川県近く沼津・三島・御殿場辺りの城砦を巡ってから近くの駅で別れることもありましたが、昨日辺りにそれを行ったとすれば私が酷い目にあうことは必定のこと。
また一昨日の岡崎の山野行脚で今回のお遊び、体力的にも十分満喫満了の思いがありましたので。
扨、3年半振りに帰郷した「奥墓道」氏との恒例、ハカ・テラ・シロ行脚の今回のメイン企画は、半端なものではイケないと思い、お楽しみの場所を用意していました。
それはGWでも人が皆無、それでいてこれまで見た事もないような珍品の歴史遺構というのがテーマ。
そちらへの到達の道のりも結構にハラハラドキドキリスキーというバリエーション豊か、そういったお楽しみもありました。
お調子にのって泥だらけの轍悪路にスピードをあげたり、視界に広がる自然世界に目を取られたりすれば一瞬のうちに酷く後悔することが予測できます。
救援を求めるにも相当の困難が伴う隔地ですからね。パンクしたら・・・などを想像するだけでも。
その地は昨日の岡崎切越町の須佐之男社のさらに先になりま
すが、要はその道の行き止まりまで上り詰めます。
車の停める場所も1台あるといえばある、ないといえばないという感じ。
切越八面石塔(場所はこちら)は④⑤⑥の民家というか城塞址を彷彿させるというかそちらから上がることになります。
③は行き止まりから振り返ったところですが①②はその直前に立つ看板。
その立て看板によって醸し出されていた不安(果たしてこのまま行っていいのか・・・)が解消されるわけです。
そちらの民家のドアはフルオープンでした。
空家とは思えず生活感が漂っていましたので大声で庭先の通行の許可を得ようと我々の存在をアピールしましたが返答はナシ。
次の案内に従って山を登ってスグ、目的の石塔の影を確認。
私が、「鎧武者の如し」と呟くと彼も「まったく同意」と。
私も彼もこれまで墓・石塔の類を見てきましたがこれはかなりの珍品です。
以前奈良の「塔の森」での石塔との出会いにも感じた畏怖と無上の喜びがありました。
こちらは平家の落人伝承もある地でその建立の古さもありますが、このような山腹(最後の画像)にあって「よくもまぁ・・・」(立ち続けている)の驚きもあります。
土砂の崩落も無ければ石積み自体の崩壊も数百年にわたって「なかった」ということなのでしょうか。
余程の数寄者でなくてはこちらへ参りたいという方はいないでしょう。おどろおどろしい雰囲気もたまらないところです。
まさに「墓道」を思わす道でした。
彼とは「すれ違いの車」の有無について話していましたがさすがGW、帰り際に1台の自家用車に道を譲りました。
また途中1名の農家の方、そしてネコ1匹と遭遇しました。
マダニ1匹についてはこちらで出会ったとは限りません。
尚、車両とのすれ違いは絶対不可能な場所がかなり続きますのでそのすれ違いができる、できないは運不運、タイミング次第。
これだけ特筆的な様相の石塔がイマイチ表に出ない、観光地化しないというのはそういう難所であるからでしょうね。
人を寄せ付けない難しい場所ほど楽しく行ってみたいとそそられるのでありました。
できればあの民家の方とお会いしてお話が出来たとしたら尚
楽しい時間だったのでしょうが。
末裔子孫の方だとすればまた尚更。
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