鈴木三郎九郎子孫当代領千石 鈴木友之助 則定城

朝から藤枝蓮華寺池公園近くの葬儀場へ。

天気予報はハズレ。期待の青空は広がりませんでしたが一昨日の雨降りよりマシ。通夜の帰り道は風雨に霧まで出てバイパスの運転に恐怖を感じたほどでした。

 

葬儀後、車の後に続いて焼津の火葬場に向かいましたがその途中の桜はほぼ満開。それに合わせてか故人の棺は桜色。

 

父、私と二代にわたって世話になった方で元はと言えば榛原静波の人です。

父が拙寺に入ったばかりの頃、その方のお父さんが頻繁に来られていたことを思いだします。

勿論、故人は真宗門徒の家の出。仏飯で育てられたという気概からか、その方の嫁ぎ先の夫は次男ながら妻の意向の通り、家の宗旨(曹洞)を変じて拙寺との「縁」を選択したとのことでした。

よってご本家親類の方々としては真宗坊さんの登場はめずらしき事だったでしょうね。

 

奥さんの意向というものは強い。まぁ色々ありますがそのパターンが世には散見されますね。勿論逆パターン(真宗から他宗へ)も。

もっともご年配夫婦で「先に奥様を見送ることは思いのほか辛い・・・」とのことをその夫の口から。当然でしょう。

みなさん同じ境遇の方々、同様の事を仰ります。

今後の精神的安寧の回復と健やかな生活の維持を希望します。

 

扨、昨日の薬師堂からの則定城登攀は止めて別の場所を探索。

獣除けフェンスの件もありますが、その時思った主郭方向が「いくら何でも・・・と」あまりにも酷い竹藪に見えましたので。

よって薬師堂前の道を少々上がった場所⑥のスロープが右手にに見えましたのでそちらから取り掛かることにしました。

それで結果オーライ。

ちなみにその場所は②のNTTの施設の向かい辺りですが、その施設の裏側が③④⑤。

酒吞城の石垣や尾根下の削平地について屋敷址の推測をしましたがこの削平地もその手の施設跡かも・・・などと推測。

その思いはあまりアテにならないところですが。

 

そのスロープを設置されている鉄管パイプの柵沿いに50mほど上がると、獣道の如くの「異世界への入口」⑦が左手に見えますのでそちらに歩を進めます。

 

曲輪の類を想定できる削平段々を右手に見ながらあまりキツくない登攀路を100m程度。ただし倒木等障害物はアリ。

竹藪を抜けてしばらく則定城の本郭に着到。

二葉之松の「城主鈴木三郎九郎子孫当代領千石 鈴木友之助」の城ということでしょうか(場所はこちら)。

要害性もそれほどでもなく、武田の大軍が押し寄せてきたとなれば、早々に「城を捨てて逃げてこそ・・・」。

それこそ適切な行動でしょうね。

 

①は先日記した小畑城登城口の橋の前から則定城方向を見たところ。

画像右、南側に竹藪が繁茂する小山が則定城。そして背後の山、椎城が見えます。

 

最期の画像は昨日の焼津。

ビール工場の脇、バイパスに入る直前、右方向の高草山を見たところ。ヤマザクラでしょうか、ポンポンと花が咲いている様子がうかがえます。

晴れていればきっと映えた景色だったことでしょう。