武田浸潤の形跡 本郷薬師堂 則定城入口

昨日記した静岡市立博物館について。

ある方がその言を耳にしたそうですが、そのコピー主体の展示物に関して、別のどなたかがそれを指摘すると「本物なら久能山東照宮に行ってくれ・・・」の言が。いやはやそれももっとも。

 

当家奥方もあの建物に立ち入っていますが、一つ言わせてくれと。

あの立地は観光客向けにうってつけの場所なので、「やっぱスタバ。気の利いた喫茶レストランでしょ・・・」とのこと。

赤字は葵ビルの美術館にまかせて新名所との意気ごみのそちらには静岡の名産を紹介販売するスペースも悪くないのでは・・・

との御指南を受けました。

また県立美術館などもあって「博物館ばかりイラネ・・・」と。

そもそもそこを飾る主のいないハコもの・・・の疑問符は尤も。

 

カネがあり余っている行政はやることが違います

他にもあれこれとその手のハコもの建設の計画が目白押しですからね。

まぁ門外漢の私どもがとやかく言うことではナシ。

静岡市民の問題でした。

 

扨、昨日の小畑城の北、則定川と県道434号則定豊田線を跨いでスグ目の前の山が則定城。

その登攀路入口にある薬師堂もまたこの地の歴史の証人。

こちら則定は現在は豊田市とはなっていますが旧東加茂郡足助町それ以前は加茂郡。加茂の名が国境を飛び越えて存在したのは、古くから京都賀茂神社神領が各地にあったからだといいますが、とくにこちら足助といえば美濃や信州にも比較的近い場所。

 

はやり、こちら本郷薬師堂の掲示板の通り、かつて信州からの武田勢の侵攻があったことがわかります(場所はこちら)。

④は薬師堂の背後から、豊田市内への街道と則定の街区を。

真下には則定こども園が。⑤の段上から撮影しましたが台地(「根」)先端のこういった形状を見ると櫓台の址などついつい推測してしまいます。

則定村古城への登城口ではありますが、私は獣除けのフェンスを嫌って別の道を選択しました。