掛川広楽寺の菊五郎再 南座「若き日の親鸞」

寒さに慣れてきたせいもあるでしょう、昨日の無風と陽光の恵に「春」を感じることができました。いや実際に暖かかった。

 

蝋梅は散り始め、梅は未だ開花していない木もありますが個体によっては七分は咲いているものも。

人それぞれとはいいますが、梅もそれぞれですね。

まぁそのタイミングは誤差の範囲というものなのでしょうが。

 

先週はテレビでは節分の行事を楽しんでいる子供たちの画が報じられていました。

私も幼稚園で行われたその豆まき・・・鬼に豆をぶつけることはとても楽しく思いました。強く当たること特に狙いを定めてウキウキだったことが思い出されます。

 

当流以外の各寺院ではその「節分」は季節の行事として大切に受け継がれているようで、何かしらのイベントが催され忙しそうにしています。

その他流で重んじられる節分の行事について私は詳細一切存じ上げませんので軽口は憚られるところですが、私がそれを「知らない」というのは門徒寺に「節分」に合わせた各行事が無いからですね。

 

「鬼は外 福は内」の掛け声とともに鬼役の先生や父兄めがけて思いっきり豆をぶつけるイベントは楽しすぎました。

「痛い・痛いヤメてくれー」などと悲鳴をあげて逃げ回る鬼をやっつけるなど快感以外の何物でもありませんでした。ハメを外して叱られたものです。

 

面倒くさいことを吹聴するワケではありませんが、真宗ではその掛け声はありませんし鬼退治もやりませんね。

そもそもその節分のイベントは仏教とは関係ないところ。

 

それはその「鬼とはわたしのこと」というのが私ども真宗的発想(煩悩まみれの私)ですし、思いっきり他者に痛みを味あわせて快楽を得ようと投げつける弾丸(豆)は、他者への思いやりを欠いた傲慢、そして相手を「鬼」と決めたとすればどんな無茶をしても許される、差別と偏見の対象だということ。

 

最近ことに他者を・・・「自分とは違う」という理由だけで・・・生産性が無いとか気持ち悪いと言い放つ政治屋さんたちが目立ちますがそういう方々がいわゆる「鬼の身」であること気づけないのでしょうね。

阿弥陀経でも「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」の件で示唆していました。

 

日本の政治屋のセンス、あらためて疑います。

なんば花月(よしもと)のギャグで以前と言えば普通にその「違い」をネタにしたものですが、今は変わっています。

いつまでも今までの「私の認識」こそが正しい・・・の発想はいかに陳腐であることがわからないのですからね。

私の方まで恥ずかしいと思うばかり。

みっともない連中・・・

 

扨、一昨日、テレビ番組表を見てあの竹柴其水作の明治の新作歌舞伎、尾上菊五郎の北町奉行遠山金四郎「遠山桜 天保日記」の放映があることを知り録画しました。

その場面は「縛-ばく」になった下手人が御白洲に引き出されていわゆる金四郎によるお裁きの場面となりますから、その通し狂言をラストまで視聴するガッツはありませんからね。

翌朝は九州から来られる方(前日は静岡宿泊)の法事がありましたし・・・

 

こいつだけは絶対に酷いお裁きを・・・と観客にこれでもかと思わせる「天学」なる坊さん崩れの悪党。

彼に言い渡されたのが①のテレビキャプチャーの画。

叔父から聞いた通りの台詞がありました。

何とも金さんの優しき対応というところも「さすが・・・」。

 

②はその広楽寺住職から頂いた掛川市二の丸美術館の図録。

掛川市は今、お城と将棋で町おこしを進めていますが、あと一つこの歌舞伎をお城で・・・の企画も進んでいるよう。

勿論尾上ファミリーの協力を得たいところなのでしょうが、その上の松竹を説得しなくてはならないでしょう。どこまでできるのか・・・

ただし大御所の七代目菊五郎①は現在体調不良で出演見合わせになっています。

そういう意味でも貴重な番組でした。

 

③は広楽寺で檀家さんを募集しての日帰り観劇。

南座の「若き日の親鸞」です。勿論本山参拝が主ですね。

 

④はガラス越しに撮ったメジロ。ヒヨを警戒しながら・・・