大草城址 幸田正楽寺墓域 三河の松平 数多の一角

それはそれはお偉いさんからすれば簡単に「マスク不要」だとかコロナをインフル並み(五類)にウェイトを下げるだとか言い出すのはカンタンでしょうね。

なぜならばあの連中ときたら「もしもの時」は手厚い治療と適切な投薬(絶対的安心)が「ある」からに違いありませんから。

コロナに罹ったとしても余裕しゃくしゃくの人たち。

経済にとって行動が制限される事こそが邪魔ですからね。

その結果60代以上がリスキーといわれる疫癘の蔓延は許容してできれば「生産性のない」(あの手の輩がよく使う語)高齢者・弱者には早々に「退場」いただこうといった算段のように見てしまいます。

またそれが即座に年金と医療費の節約に繋がりましょう。

 

私たちときたら救急も外来も拒絶されて自宅待機と「自身の力で治す」免疫力以外の対抗方法はありませんからね。

感染者数も死者数もまだまだ高止まりする今・・・、先の事がわからない時節にあってよくもまぁあんなことを言い出せるものか・・・と首をひねるばかり。経済界へのリップサービスというのならまぁ許容しなくてはならないのでしょうが・・・

ただし社会に「平チャラ」の雰囲気を醸し出させます。

コロナは怖くないのでバンバン遊びに行っておカネを使おうのキャンペーンが張られようとしているかの如く。

 

庶民の命より「経済(金儲け)は大事」の旗印。

まったくクサクサ。

「ウィズ~」ができない人たちもいるということ。

 

火葬場が年末からフル回転・・・という言葉を一昨日聞きました。

亡くなった人たち・・・もっと怒りましょう。もっともっと・・・

自分たちは「守られている」ので平チャラの高慢ちき、いつかは足元を掬われるものです。

偉い人たち・・・庶民の命にもっとご配慮を。

「自分たち」のことばかりが見えてきます。

 

私 ? しぶとく生き残ってやる・・・そして偉い人たち、その死にざまを確と見届けてやる・・・普通の人たちこそ是非に助かって欲しい。

ただその思いだけ。合掌。

 

扨、昨日の正楽寺、大草城址のズバリ墓域へ。

まず室町期を推測できる石塔と五輪塔残欠が並んでいます。

正面五基が主たる西郷系松平の墓となるかと。

まぁ石塔のパーツ組み合わせの様について詮索なし。

 

大草松平というとざっと・・・松平光重・松平親貞・松平昌安(西郷信貞)・松平昌久・松平三光その子桶狭間ノドサクサで亡くなったといわれる松平正親~ということになりましょう。

ということで方々の墓だと勝手に推察しました。

 

大草初代の松平光重は、松平氏三代当主岩津松平家の祖の松平信光の五男になります。

その信光が西郷頼嗣(弾正左衛門 上記西郷信貞の墓も同所大

林寺に)の娘を妻にして岡崎城主(明大寺古城)になったのが始まり。岡崎城のあの勇壮な堀の名「清海堀」はその西郷頼嗣の法名として残っているくらいで、まさに今も「西郷の城」を主張しているが如く。

 

ということでドラマに突然現れた松平昌久という敵役の存在は

のちの三河一向一揆の際にも繋がる伏線ということもありましょうが、信康排除の意向については少なからずあったとは思います。「われこそが岡崎の松平」の主張です。

要は三河平定前の一族間の諍。

何しろ三河は松平だらけ、紛らわしいこと計りなし。