「実は」の頻出 「実の 蓑」濡衣 大晦日例年通り

昨晩はNHKBSの「次のパンデミックを防げ」副題が「ウィルスハンター密着 未知の感染症の脅威」を視聴しました。

特に「なるほど」と納得したことは番組内で紹介された「ワンヘルス(One Health)」。

「人+動物+生態系」の3つの健康を1つのものとして捉えて守っていこうという考え方。

 

森林破壊が感染症発生の引き金になっていることがよくわかりました。

木々そして森林の植生そして彼らの生命維持と子孫繁栄の姿に感銘を受け尊敬畏怖の対象としてある私にとってその森林破壊を続ける我ら人間の愚かさを提示していました。

やはりその病禍の発生は人の起した因果ということでしょうね。

自然あっての「人」ということを今一度思い出し、その共生を見直して行かなくては。

実はそもそもその自然の中に住まわせていただいているという気持ちに帰って。

 

さて、昨日は浄瑠璃、歌舞伎になどの狂言におけるストーリー「綯交ぜ(ないまぜ)」について記しましたがその2ということで続けて記します。

 

その「ないまぜ」脚本の虚々実々感漂うストーリー展開のポイントは「実 (じつ)」でしょうか。

昨日も「実(み)の」のところで蓑と美濃の掛け詞の件記しましが「実は〇〇」といったスーパーどんでん返しの手法が多様されることは特筆。

観客には劇の初動で「××」という名で登場しておいて展開し「実は」と「○○だった」という納め方。

無理くりの感ありますが、そのどんでん返しが江戸庶民にはたまらなかったのでしょうね。また日本の芸術の凝ったところ。

その「実は」と「実の」が巧みに交錯しながらストーリーが進んでいったのでした。

 

あと一つ思ったところは登場人物の「濡衣」なる娘の名の件。

今はその「濡衣」の一般的な意味としてはまず「無実の罪」 (無罪)のことですね。

ここでも深読みすれば「実」という字が潜んでいるわけです。

 

登場人物としては「濡衣」が恋する武田勝頼が無念なる死を遂げますがその勝頼は実は勝頼ではなくて「箕作」なる花づくり(庭師)が実際の勝頼だったということ。

そしてハッピーエンドの結実を得たのは八重垣姫ということになるのですが、「濡衣」には「実」が無かったのでした。

 

要は「無実」ということですがそこには罪の有無は関係ありませんね。よってその「濡衣」の意としては現在の「罪なし」ではなくその「実・・・大願の成就が無い」と言う名を示唆しているのかとも。

 

そもそもその実の勝頼の名「蓑作」もしかり。

昨日ブログの通り「実のと美濃」と掛けています。

 

そして「濡衣」とは雨に濡れて衣が濡れることに相違ありませんが、要は「蓑が無い」 (太田道灌 七重八重~)ということを読み捉えます。蓑が無ければ衣は濡れる・・・

そちらの段で示された「実の 美濃 蓑」この三つの語彙が入り乱れた展開となるのでした。

言葉遊びと断じてしまうのはNG。

 

 

今度、あのカルト教団からの保護を主に目した「被災者救済法」なる新法が成立したとのことですが「実」というものががなければね。いつものやった感の如くだったら・・・そんな気がして。

 

①と②はパンフより。

上段は文楽の首「かしら」の名。下段は今回の登場人物名。

 

③今年も気合を入れてヤリます。

除夕鐘。大晦日10時30分から。

④来年の慶讃法要の岡崎教務所のポスター。

「あなたが大切だ」のメッセージ。