昭和33年の報恩講の集合写真を紹介 「闡如」さん

 

「人のせい」と他に責任を指摘したり見つけ出すことは簡単。「私」にとって都合よき心の落ち着きどころです。

 

昨日は報恩講。当流に於ける第一義の法要になります。

気合を入れてその法縁を迎えるのですが、ハッキリ言って昨日は寂しいものがありました。

お参りと参加者数の右肩下がりが顕著になっています。

堂内はまばら、以前の如くの密集状況には程遠いといった感じ。

 

理由を探せばコロナ対策で回数を分けたということもありますが、①やはりコロナ八波の恐ろしさ②菅山のJAのお祭りと重なった③静波地区のお祭りと重なった④七五三と重なった⑤ポカポカ陽気で行楽日和に・・・と言う事なのでしょうかね。

まぁ社会生活を回す方々の優先順位、寺参りのウェイトが下がったということでしょう。

私のこの住職継承以来の17年の間、変わった事の一番と言えば報恩講参拝者のメンバーがガラリと変わったというところ。

「時間の経過」ですが、世代交代による次世代が「寺に行くことの意義」の低下があるということでしょう。

 

そのように解すればまぁラク。

ホントは私そのものか私の法要形式に問題があるかも知れません。

とにもかくにも「ありのまま」で淡々と勤修する他はありませんが。

 

よかったこと、嬉しかったことは横浜から息子が参加してくれたこと。

その発声を久しぶりに聞いて「これから私の出る幕はナイ」と確信したところ。

周囲からも「即引退!!」と勧告されました。

有り難いことです。

 

法要後のご挨拶では私がゼロ歳(4か月?)の時、開催された拙寺報恩講に東本願寺門主の「闡如」さんをお招きした画像とその際祖父が建てた石標について紹介させていただきました。

よくもまぁ「闡如」さんがこのド田舎にて来られたというという奇特を思うばかり。

どちらに泊まったのでしょう。余計な事ですが不思議です。

 

何しろこの集合写真に登場する皆さんのお揃いの図は見事。

堂内はゴチャゴチャに込み合っていたことでしょう。

 

ぼちぼちやっていくしかありませんね。

バトンタッチの件含めて・・・おまかせです・・・

 

 

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コメント: 4
  • #1

    野村庄右衞門幸正 (月曜日, 07 11月 2022 12:18)

    うちの親類も絶対この中にいると思われますが。。わからないです。昭和33年というと、私の母と歯科医をしていた曽祖父は北海道に移住してるので当然ながらいません。しーちゃんは相良在住ですがこのような場に参加するようなタイプでもないですね。

    こういった古い時代の写真、いつかガッツリと拝見させていただきたいところです。もしかしたらご先祖さまの顔が判る写真が見つかるかもしれませんし。

  • #2

    今井一光 (火曜日, 08 11月 2022 08:23)

    ありがとうございます。
    顔を拝見しただけではまったく判明させられないところは歯がゆいですね。
    父母の顔もありませんので祖父60歳独りで張り切っていたことがわかります。

  • #3

    小山昭治 (火曜日, 08 11月 2022 08:38)

    確かに「しーちゃん」はこの中にいることはないでしょうね。
    家に2代目要太郎がおりました。妻のせきさんもいるかも、あるいは要太郎が出ていればせきさんは家にいたかな。
    立派になった息子さんを見て見たかった。息子と父親は反するもの。それも楽しみです。
    第三者は眺めて楽しみます。大いに期待しています。

  • #4

    今井一光 (火曜日, 08 11月 2022 20:04)

    この写真に写っている方で56歳以上の方は現在100歳超え。
    まず殆どの方が仏の世界にいらっしゃるということでしょうね。
    これだけの方たちに見守られている・・・安堵している今日このごろ。