「闡如」(せんにょ)さんが来た頃

私は東本願寺が「真宗本廟」(真宗大谷派)と登記上の名称変更を行ったあたりの「一連のややこしいお話」に関しては、まったく知らない世界のこと。

まぁ、ああいうテーマで揉めるということは真宗らしさであって許容はしているものの、訴訟として公然と「長々とやる」というのもあまり「みっともイイ」話では無かったですね。

 

 あえてそれらの事で私が直接影響を受けたというか「え?」と思ったことを記せば、当初は私が「真宗大谷派教師資格」を取るために通った浅草本願寺に併設されていた東京専修学院が閉鎖され、真宗大谷派から「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」と名称変更して法人母体がまったく変わってしまったことですね。名前も相当ややこしくなってワケわからん状態でした。

こちらの学校の卒業証明書がその後の修練等、住職になるために必要不可欠でしたから。

 

 先代(父親)などは京都の大谷大学に入りましたので卒業と同時に「教師資格」は「漏れなくついてくる」ような感じですから、その手の苦労は要らなかったでしょう。

 

 また、お寺の仕事に関わるようになり、それぞれのご住職の経歴を知るようになって愕然、みなさんはまず大谷大学か名古屋の同朋大学の卒業者でした。

卒業後も本山に入いるなどその世界の事を念入りに修めた方ばかりでした。一般の普通の大学へ行ってあっけらかんとしているのは私だけの様です。

 

 私は東京世田谷の大学(法学部)に入りましたので、昼間の学校が終わってから夜学の浅草の東京本願寺(当時)に行く必要がありました。

小田急―千代田線―銀座線を乗り継ぎ、たった1年間ではありましたが何とか通いました。

地下鉄田原町を上がったところにある焼きそば屋が夕食場でしたね。遠回りでしたが中々出来ない経験でした。

 

 宗教法人そのものが変わってしまいましたが、快く「卒業証明書」を出していただき、懸念は一掃されたわけですが、一瞬間、あの1年が無駄になったかとの焦燥感は湧きました。

 

 いわゆる「お東騒動」というやつですね。

詳しくはそちらをググっていただければいいとして・・

大谷家第二十四代の大谷光暢(闡如さん)の時代ですね。

 

 闡如さんは昭和天皇の義弟ということで当流最後の法主(ほっす)として67年に渡って(途中「門首」に名称変更)本山の顔となった人です。

 

 その方がこのド田舎、相良の貧乏寺にやってきたというのが画像①②です。当山山門左側に石柱が立ちますが、昭和33年12月19日とあります。

どなたかが仰っていましたがその「事件」周囲から(県内・県外)相当羨ましがられたと聞きます。

当時、法主が来てくれる(当時は庫裏に一泊)などということは垂涎の躰だったのもしれません。

 

 13代、私の祖父の時代ですが、本山への貢献度等も傑出していたワケでもありませんし、どういった根回しがあって当山に法主が来たのかまったく謎です。

父親もその件については何も話しませんでした。

 

 ②の画像は闡如さんの法話の図か?この写真の額は私が気付いた頃からずっと庫裏の奥に置いてありました。

奥に御内佛が見えますが、古いもので静波の笠原八郎衛門家へ当山の九代目祐厳の娘「こと」が嫁いだ際(文化十三―1816頃か・・)に返礼されたものです(左側 金物が豪華です)。

 

 悔いが残りますが、私が東京に出ているうちに父親が処分して新品に代えてしまいました。

新しいモノ好きで古いモノを大事にしない父親でしたね。

モノの少ない困窮時代を過ごした人がモノだらけで色々なモノが溢れてくると「そうなるのだな」と思いました。

いや価値感の違いでしょうか、私の方といえば古いモノ骨董品が大好きですのでそのギャップをより感じます。

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (木曜日, 17 7月 2014 08:51)

    闡如さんですか・・・何となく覚えています。
    弟がお稚児さんになったかな?姉が接待役で駆り出されたような。うっすらと覚えています。
    お寺の先々代の住職は歌舞伎が好きで、よくお説教で話をしました。
    もう遠い昔になるんですんね。

    学歴はどうでもいいのです。
    私が亡くなった時に、お導きをしてくれればそれでいいのです。
    所作が違っても気持ちがあれば親鸞も許してくれるでしょう。
    また そのときはよろしく。

  • #2

    今井 一光 (木曜日, 17 7月 2014 13:13)

    ありがとうございます。
    弟さんが御稚児さん、お姉さんが接待役でしたか・・・
    私の知らない世界です。
    すべてが遠い昔のお話で、あらためて過去の色々なご縁の積み重ねによって「今がある」という思いがします。
    人の生死のタイミングはわかりません。
    私の方が一足お先にという場面もありますので、今16代目を何とかしたいと思っているところです。
    うまくいけば早く引退できますし・・・。
    とにかく健康に留意されて御一同、行(生)けるところまで行(生)きましょう。