無残も反省 弘化二年の六条御殿御役寺の標 

①は午前9時のlineに届いた図。

世話人さんから「これから牛久大仏にあがる」の図です。

快晴の青空が広がっていますからさぞかしこのうえない景色を楽しんだことでしょう。

当地はほとんど一日曇り空でした。

 

私の午前中は境内作業色々から始めて石屋さんとの合流を待ちました。

昨ブログで記した大失態の件。

成瀬夫妻の石標設置の際に②の「六条御殿御役寺」の石標が傾いていることから「これを修正したい」とその策を投げかけました。

すると気軽に了解していただいて、その結果を待ったわけですが、ベースの石が微動だにしないと。

大きなバールを差し込んで石柱を浮かす作戦だったようですが

次の私の提案が最悪でした。

 

石柱の下部をスリングベルトで撒いてロープ掛けし軽トラで引くというものですが、数度のチャレンジもどうにも動かず。

諦めかけた時に「ちょっと勢いをつけたら」との提案(私もラスト一回はそれをやりたかった・・・)もあり、「それなら・・・」と10㎝ほどバック。

アクセルを踏んだところ一気に根元から抜けて、地面に倒れた時にボキリと折れたのでした。

私の予想に反して石柱とベース部分の接合が5㎝も無かったこととただ細かな土が詰まっていただけの接合でした。

 

思案していると石屋さんから撤去して処分を勧められましたがそれは却下。

弘化二年(1845)の石標は味がありますからね。

世の中には破損・修復されたその手のものはたくさんありますし。

「六条御殿」と京都東本願寺の名を表しているところも遺したい理由です。

 

奥方は何でもかんでも「力任せに機械(車)を持ち出すな」とその短慮に再びあきれ顔。

この日は2つに分かれた下部をモルタルで接着。数日後に上部を石材用接着剤で貼り付ける予定です。

そのためにユニックをチャーターすることになります。