碧海あおみ 語源「青見」を思う 碧海山古墳

父母の棺の中は「スッカラカン」というのは少々言いすぎでした(昨日)。

そもそも気の利いた棺には「布団セット」と称して枕まで付いているのが殆どですから、まぁ何かしらの関連品は少なからず納められているわけで。

コンパネのDIY製は別として、葬祭社に用意していただいた上等そうな品には必ずそれら付属品は揃っていますから。

 

ところが最近は故人の遺品やら遺族の気持ちの品やらありとあらゆる品々が・・・

時に、ここで一緒に「処分?」などと首を傾げるものまで「投入」される事もありますが中には高価な着物やら、値打ちのありそうなものまで納められる品は多種多様。私はただ静観しているのみですが。

 

そして基本、「金属系はNG」という「掟」はあるものの「あの中のこと」を隈なくチェックできるはずもなく・・・どなたかによる「過ぎた信仰心」によってか「六文銭」と称して投入された小銭か溶けてこびりついたものをヘラでかき落す手間、苦労話はよく聞くところ。

ちなみに最近、どちらかの火葬場で点火前に内部で担当者が蓋を開けてチェック。中から「不用品」としてゴミ袋に入れて別に処分していたことが常習的に行われていたことがバレて問題になっていました。

 

金属類といえば釘などの棺の工作上必要なものも含まれますが

昨日は「残骨灰(ざんこつばい)」についての記事が目に留まりました。

以前からその辺りの件、如何に・・・と拙ブログでもその疑問を記していましたが、今その件、全国の自治体で改めて「価値」を見直す動きがあるといいます。

 

それは残骨灰(所有権は自治体等に移行)から「貴金属を抽出して精錬・売却する」というものですが、おそらく金などの貴金属類のその「埋蔵量」は実際の鉱山から堀り出すよりも効率がいいようです。

京都市辺りでは億単位の「利」を目論んでいるようですから。

 

まだまだその「利益」について道義上どうなのか・・・という論をもって揉めている自治体もあるようですが、処理費を支払って業者さんに回収を依頼するのであれば(結局は回収業者がその価値を現実のものにするだけでしょうから)さっさと踏ん切りを着けて主体的に運用し、回収した金員は自治体の運営資金として廻してもらった方ベストかと思うのですが・・・。

 

さて、先日は堀内公園前の大イチョウやら円光寺の大松について記しましたが、その公園から円光寺に至る道路脇(交差点)にこの地区の代表的名を冠にした古墳がありました。

それが碧海山古墳。

碧海郡」と三河では広大、馴染みのある語ですがその碧海に山

が付くのは何だろう・・・と単純に。

碧海(へきかい)の発祥は「あおみ  青見」からですがそれでいてその地に居て「青い海」を感じるでもなし。

碧南郡南部の碧海市まで南下すれば目の前は青い海が広がり、矢作の大河が流れていますのでまんざらその「青」の形容は違っているワケではありませんし。

 

また、大きな山や段丘がその存在をアピールするでもなし。

そちらといえば今や広大で平坦な人口密集地ですからね。

よってこの「碧海山」の山は単純に古墳のこととして勝手に納得。しかしこの辺りには古墳多し。

私は小田原育ちですが、その地の古墳と言えば段丘上というのが定番でした。

目立たない場所にひっそりと隠れるようにあったものです。

 

墓そのものを庶民の信仰対象として生活の場に置いたことも考えられますし、山が無いのであまり深く考えずに適宜近場に・・・などなど。

⑥は「山」のトップに立って堀うち公園の方角を見たところですが左上方にあのイチョウが見えます(場所はこちら)。

 

しかしまた、「青」を植物・・・「松」と喩えたと考えるのも面白いかも。「三河二葉松」など連想しますが松に限らず、たくさんの植物の名が登場するだけに「青」が豊かに映えた地だったのかも。