円光寺鐘楼の補強材とその方法に着目 葬儀生花の行方

先日の世話人会でのお話の中で「最近は葬儀費用がべらぼうになった」・・・と少し遅れてやってこられた世話人さんが。

遅れた理由は知り合いの葬儀に出ていたからで、そのホールの申し分ないほどの豪華さを「今体感してきた」ことからその件になりました。

 

以前ならば参列者の香典で葬儀式すべての出費が賄えるというのが普通の事でしたが、今はといえば「大赤字当たり前」になってしまったと。

そして今流行りの「家族葬マジック」も。

最近はよく聞くようになったその「家族葬」なる三文字。

 

一見「格安そう・・・」「通常規格(目いっぱの豪華さを誇る)ではなく、安価」を連想させますが、実際のところ、小振りの会場で参列者が少ない分、施主のその対応は気軽になりますが、参列者を絞れば香典の額が式のトータルの額を上回ることを期待できないのは勿論のこと、そもそも会場費とサービス提供、人件費は殆ど変わりはありませんからね。

式終了後、送られてきた請求書を見て「度肝を抜かされる」などという件、よく耳にしています。

 

拙ブログでも何度か記していますが昨今の葬儀(大小にかかわらず)に必ずと言って付いてくるのが出棺時の花入れと葬儀後の生花配り。

大抵は葬儀と繰り上げ初七日の間の僅かな時間に花屋さんなどのスタッフが主だった献花類を回収し花束を用意、参列者がお帰りになる際に持ち帰っていただくというパターン。

ということで壇上は生花で溢れんばかりというのが常になっています。

 

他所で、その献花を「看板を変えるだけ」で次の葬儀に再使用しているなどの噂がたってから、その手の習慣ができあがったのでしょうが、生花はそのキレイを保つ期間はほんの僅かの間のみ。

 

拙寺でも葬儀に参列し「生花をたくさんいただいた」ということで帰りに墓参に・・・などいう方々が見られます。

それでも使いきれないなどいう方は「ご自由にどうぞ」といわんばかりに拙寺水屋のバケツに入れっぱなしでお帰りになっているようです。

 

拙寺には花屋さんの檀家さんがあります。

葬祭屋さんの方向性に乗っかっているのは確かで、その煩忙にケチをつけるワケではありませんが、数年前の私の父母葬儀の際、「棺を生花でいっぱいにしよう・・・」などはありませんでしたし棺の中はスッカラカンでしたがね。

その流れ(葬儀社の企画)にまかせる他はないというのが現状の様。

まぁ私もその葬儀社さんにはたくさんお世話になっていますがそれらを言い出したら罰当たりかも。

 

どなたかが仰っていましたが「寂しいのも何だから」「賑やかに」という声も少なからずあると。しかしお寺の葬儀ならば「供花は1対まで」くらいの規約を作ってもらえると有難いのでは・・・と。

供花の代わりに「供花代」として「香典」と一緒に添えるなど推奨してあげれば「どれだけ施主が(金銭的に)助かるか・・・」です。それは葬祭場を利用してもできます。要はその供花の提供者次第。

 

計算式としては、たとえば親戚として「香典3万円」。

そして「供花2万円」を提供する代わりに「供花代」としての現金を加えて2つの封筒を用意、合算して5万円になるというもの。

供花として葬祭場さんにその手配を依頼するだけでいくらかの手間賃もかかっているのは当然のことですからね。

まぁ個人でその献花を手配すればその半額以下でしょうか。

「当家は生花は最低限でイイ」と言えるか言えないかもありますね。

 

葬祭屋さんも今、ここ数年来のサービスの提供と高額になりがちな葬儀代への常態化の修正はやむなしというところがあるのでは・・・?

一つ耳にしたのが葬儀費用に含まれているといわれていた親族出棺同行者が乗るマイクロバスの手配。

この10月からそのマイクロバスのチャーター代(35000円?)をオプションとしてトータルの葬儀費用から切り離したようです。

以前から「使いもしないのに不要」という声がありましたからね。

やはり施主の納得いくサービスとその対価でなければならない・・・に近づきつつあるその動向。

 

葬儀というものは滅多に遭遇しないネガティブイベントで、人によってはそれを主催する機縁などそうはありません。

そしてあまりにも「急」なことも多く、冷静な判断ができないことが多いですからね。

結局「どうにでもなれ」ということでどちらかの葬儀社にお願いする他はないのでしょう。そこを丁寧に、あとから後ろ指を指されないような運営に修正していかないと生き残りは難しいのでは・・・

 

さて、昨日の円光寺の本尊と墓域を。

代々墓碑らしきものの形状のベース部分は三河の真宗寺院でありがちなものでしたがその上にある塔の部分が卵型。少しばかり驚きました。

古いお寺ですから昔ながらのものを踏襲しているのかとは思いますが・・・

 

鐘楼の耐震の方法は四脚を鉄骨で連結し屋根部分を四方から、細めではあるものの鉄材を支柱として結び、地中に差し込んでいました。