法蔵寺 廣忠五輪塔周辺の墓石たち

以前の会社でお世話になった先輩が秋田角館に転居されていることをブログでも記していましたが、電話は勿論、携帯・メール等今風の連絡手段がありませんので、そちらのライブな状況がわかりません。

連日報道される災害級大雨と更なる前線の通過に、被害が僅かであることを願うばかりです。

 

昨日は午前・午後の法事がありましたがお昼はヒロシマ、ナガサキの日に続き戦没者を追悼する鐘が、ご門徒さんの手で撞かれていました。

日本海側から東北にかけて、雨続きで困窮される皆さんには申し訳ないことですが、当地の天気は安定した晴れ。

私のこの夏の本堂読経中の体感は今年一番の暑さと湿気になりました。

お内陣は閉鎖空間、私の体質は、汗をかきにくく高校のサッカー部時代に「お前は汗をかいていない(まともな練習をしていない)!!」などとT先輩に罵られたことを思い出しますが、昨日の読経中、顔から汗が溢れ出ていました。

まぁ無料でサウナ風呂に入浴させていただいた感。

法衣を着たままですが「健康独り占め」ということで。

おかげでサッパリ、気分爽快。

 

今年の8月の法要は13日土曜日で、台風の豪雨で参拝者ゼロ~の件、ブログにて記した通りですが、それはすべて結果オーライ。

お寺の法要の日を入れていて、よかった、よかった~。

一般のご門徒さん主催の法要がよりによって台風通過の豪雨になってしまうのはあまりにも気の毒すぎますから。

もしこの日が台風通過の憂き目にあったらどうだったのだろう・・・たくさんの子供たちの参列があって嬉しい一日でしたから尚更です。タイミングとはいえ有難いことです。

 

夜間はこの時節恒例のNHKの特集番組を。

毎度御馴染み戦史上、もっとも無残で無意味な死を強要したインパール作戦、「ビルマ 絶望の戦場(白骨街道)」を視聴しました。

 

いつものように汚らわしき「日本的システム」の根本的欠陥を番組の証言を借りて記せば上層部(政治屋含む?)の「道徳的勇気の欠如」だといいます。

自らの間違い、計画の失敗、練り直しを「認める勇気」がないということです。

イギリスの司令官が言っていましたがその逆境時の指導者の過ちというものは「日本人特有」だそう。 

 

軍人の世界には「正義から、かけ離れた欲望の醜悪さ」がまかり通っている・・・というのは日本軍の若い将校の談。

まぁ軍人に限らずというところでしょうが、私は私でそれを視聴しながらやはり「お前ならどうする・・・」と自問。

司令部は「お前ら絶対死守しろ」といいながらさっさと「先に逃げた」というお粗末かつ酷い有様。

 

「究極たる場」というものを味わったことがないということもありますが、自分はともかくとして、画面で見たあのような状況を将来にわたって代々味あわせたくないものだとつくづく感じました。

日本人のDNA、「美しい」などとの美辞では語れない下衆愚劣な血が流れているということも。

 

さて昨日記した法蔵寺、松平廣忠五輪塔の続き。

法蔵寺の墓域には幾度も顔を出していながら画像をupしていなかったのは名のある人の墓石だらけでそれについて記すのはただ面倒くさかったから。

横須賀城ウラの「乳母が懐」の東の丘、撰要寺の墓域と同様です。あちらはあちらで夥しい墓石が迎えてくれますからね。

またいずれボチボチと。

 

本日は松平廣忠の五輪塔の正面からの図①を。

バックの東照宮前のサクラが咲いて明るくていい画と思いますが植栽が茂って見にくいので②から。

テラはともかくとしてハカとシロは冬場が絶妙ですね。

奥方は同じハカを来るたびに撮って「楽しいのか・・・」と呆れられますが「季節によって 表情が違う!!」ですね。

 

墓たちには標識のあるものと無いものがありますが、その標識に沿って転記すれば廣忠の向かって右隣りが

「松平信光母之墓」つづいて

「伝 亀姫之墓」。但し手元史料とは異ります。

そして廣忠五輪塔向かって左から順に

「松平信光の子 右馬佐之墓」

「松平信光の子 左馬佐之墓 

「松平忠政の弟 教真坊之墓」於久の子か

「松平廣忠 先妻 於久之墓」

「松平忠政之墓」家康兄(異母  於久の子)

「薄井姫之墓」

「家康の妹 矢田姫之墓」

 

松平家は江戸から明治までの平穏安泰期を構築した徳川を輩出した家であって歴史の勝残りの血脈。

戦国の家を継承させるために正妻だ側室だなどとたくさんの子を持ちますから。

そして各家分流し、徳川主家に沿って登場人物も多々あり紛らわしいことこのうえなし。

特に信光からの各家支流については三河の歴史を語るに避けられないところです。

 

今一度、ざっと・・・

 

一 親氏

二 泰親

三 信光  ←

四 親忠

五 長親

六 信忠

七 清康 

八 廣忠  

 

九 元康(家康)

 

最後の画像が昨日到着した叔母(父の妹)からの便り。

施設入所中ですがおかげさまで何とか元気に日々送っているようです。

昨日の午後の法要施主のお母様は関西の施設に入所中といいますが、ガラケーを使いこなして毎日のようにメール交換をしているとのこと。その御年95歳というのには驚かされます。

 

「歳だから・・・」を理由にスマホや携帯を駆使してのネット冒険の道を途絶させてしまうことはイケませんね。

自らそういってその機械接触の機会を敬遠する方が多いのは残念至極。

頭の方の維持健全に一役買うことは当然でしょう。

 

ちなみに叔母は携帯電話を持っていません。

もしそれが使えていたらきっと大変なことになっていたことでしょう。