長い厚い重い・・・幕末の人斬り包丁を感じる 那須の件

昨日は朝から刀剣の研師兼神主のN師のご自宅に伺いました。

ちょっとした所要があったからですが丁度「預かり物」という幕末もの(安政四戊午銘)の刀を拝見する機会に巡り合いました。

撮影はさせていただきましたが、公開できませんので口で解説すると、一言で「長くて肉厚で図太い、よって超重い」。

先生は「榊原(鍵吉)門下」の刀だろう・・・とのことでしたがやはり以前記した今井信郎の刀に似ていました。

 

要はその重くて切れ味抜群の刀を相手の頭上に「振り下ろす」ために作られた一物。

あれほど重たい鉄の塊を自在に振り回すことのできる肉体とその鍛錬とはどれほどのものだったのか。

「一日千振り当たり前」と聞きますからね。ましてや「片手斬り」の鍛錬も・・・

今、私がそれを振り下ろすこと、チャレンジしたとすれば、両手でできて3回くらいか。

それ以上修練すれば自らの足を斬り裂くか両腕の関節炎になることは必至。

 

剣術に限れば特に一対一などの場合、講武所あがりはじめ佐幕派の腕っぷしというものは半端なく強かったと感じるわけで・・・。

やはりその手の武人との一対一のシチュエーションがあったなら・・・などと想像してしまいますが、これは「逃げるが勝ち」。

受け身として刀でその振り下ろされる刀を受けようとしたら100%頭を割られて即死でしょう。

健吉は土佐藩士を何人か斬っていますが相手が健吉であっただけで一刀両断にされてしまったということでしょう。

 

薩長の鉄砲と大砲を主体とした「よってたかって」の戦闘方法として個人の突出した技量と鍛錬は不要になったのでした。

要は完全なるチームプレーとなった時代。

 

そして日本刀は(槍もまたしかり)握って初めてその威力を感じます。

ちなみに槍の泥舟、高橋泥舟ですら将軍家茂、井伊直弼を前にした模範試合で健吉に負けていますので、その槍をかわしまくって振り下ろす、その運動神経・・・身体能力も特筆モノだったでしょうね。

今井信郎が竜馬を斬った刀は「健吉に所望された」・・・とのことでしたね。

薩長主体の新政府からの招へいを断っているところもまた、先日記した継之助同様その気概に好感が持てます。

ガラスケースの中の美術品としての刀は美術館博物館で拝見することはありますが、あの幕末ものの感触、そのパワーは圧巻でした。

 

画像は友人の女墓場の余興、那須岳縦走、茶臼岳、朝日岳、三本槍岳を「楽しんできた~」の画像報告。私にはサッパリわかりませんが・・・

山登りにはいい季節なのでしょう。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (火曜日, 09 8月 2022 09:03)

    撮影しなくて正解。
    見た目、触った目を画像で表現するには大変なこと。
    五感に記憶させるしかありません。
    持たせてもらっただけよかったですね。
    今の剣道は白刃の戦いとは違う競技です。刀で殺し合いなどすさまじかったでしょう。
    茶臼岳は先日79歳の男性が50キロ近くの荷物を背負い2泊3日の行程で亡くなりました。上には上がいるものです。亡くなりましたがある種、うらやましい。
    不謹慎ですかね。

  • #2

    今井一光 (火曜日, 09 8月 2022 20:53)

    ありがとうございます。
    死に場所についてはその人の生きざまを表すことがありますね。
    私でいえば「読経中に・・・」「境内墓地で・・・」こと切れることが望ましいとは思ってしまいますがそうカンタンにうまいこといきませんからね。入院して衰弱の躰・・・も頭によぎってそれを思うとイヤな感じになります。
    路傍で倒れる「行路死亡人」の件、過去帳には登場してきますが、山の中で倒れると
    (遭難)ヘリのチャーターほかかかなり厄介なことになりそうです。
    独りで深い山をうろつく時はいつもその件気がかりになりますね。
    「どうやって探してくれるのだろう・・・」です。