井口富永館 井ノ神社鐘楼鎌倉期梵鐘 城館址周辺

昨日はやはり予報に反して当地は晴れ間が広がりました。

午前本堂と墓参り、午後はホールと墓参りの2件の法事がありました。

御一同異口同音に「暑い!!」でしたが、私は内心「いつもより暑くない・・・むしろイイ風が吹いている~」とは思ったものの、それを言ったら嫌味になりますから「そうですね~」。

まぁ皆さん、私の装束・黒衣からくる「暑っ苦しさ」を口に出していたのでしょう

 

その午後のホールとは旧榛原、台地上の墓地に併設された施設。

ホームとアゥエイの変則ダブルヘッダーでしたが、どうしても午後の方は声の具合が気になるところです。

午前はクマゼミと張り合っての読経とあって「喉の消耗疲労」が顕著、まともな法要になるのか不安、特にそちらには墓参では何度か伺っていますがホールでの法要は初めての登板でした。

奥方には「マイクがあると有難いが~」と言いながら施主より先乗りで現場確認。

他にご本尊、そしてキンや御文箱のセッティングがありますから。

 

ところがマイク&スピーカーのシステムは一見したところありません。

「まぁいいか」と少々の不安を残しつつの開式でしたが、第一声の瞬間、驚かされました。

ホール設計の極みか、「これが私の声なのか・・・」と自分でも疑わしくなるほど、惚れ惚れするほどのスバラシイ音響。

経机にマイクとスピーカーが隠しているのではないかと読経中にキョロキョロしてしまうくらいでした。

室内はエアコンが効いて、快適そのもの。

 

皆さんの「お寺の本堂で葬儀・法事はやりたくない」の雰囲気が漂う理由がわかった思いです。

冬季の極寒、夏季の極暑がありますからね。

しかし、一昔前、父母祖父母の時代はその寒さ、暑さの環境の中、今のように椅子ではなく、座布団正座で今よりも長かったであろう先達ご縁の時間を過ごしていたのですからね。

すべてが便利になったものの私含めて、甘っちょろくなったものです。

 

さて、長浜の高時川の豪雨氾濫のニュースをテレビで見て、そちらをふっと思い出させられてから、その地の「大変」にも関わらずノー天気にもかつて行ったその地の画像をupしています。

報じられていましたが、市街が水に浸かってしまうと下水道、トイレの使用ができなくなり、仮設トイレが不足しているとのことでしたが、まったくそれは盲点でした。

発展途上国ではそれが原因でコレラなどの伝染病が広がるといいますからね。

上水・浄水だけの問題ではなく下水までがパンクしてしまうということですね。

 

その高時川水域の「高月町」の語源の元はといえば「高い槻の木」。苗字としては当地には「大槻」さんがいますが、元は同様の意でしょう。そしてこの「高月」の方は「槻→月」への変異があったということ。

まぁ「水」のイメージの強い高時川(妹川)流域の地ですから「月」とのセットとその風情の方が「槻」に勝ったということでしょう。

 

昨日は井口弾正の菩提寺と言われる理覚院と墓石たちについて記しましたが、こちらには勿論近江湖北とあって真宗大谷派のお寺も目立ちます。

特に、井口城址と言われる富永小学校の南側が「富永館」と言われる井口城に関わる屋敷があった?エリアがありますが、それが真宗大谷派の宿善寺周辺。

お寺の山号が「井口山」だけに「なるほど感」あってその歴史を感じます①~④。

またその西側には大谷派の圓長寺があってそちらの山号が「冨永山」。ウ冠ではありませんが、その山号も地域と密着したお寺の感があります⑤⑥。

また近くにも大谷派のお寺が散見。

 

私にとっても当地高月は今井関りで思いを馳せる地でもありました(「嶋左近」の登場する文書)。

やはり高月や木之元は明楽寺はじめ蓮如さんとの関りを強く感じる場所です。

上記リンク先には高月と木之元の本願寺系の寺の著しく多いところ各羅列していました。

 

⑦からは一昨日記した富永小学校の駐車場にある井口弾正居城址の碑の向かい、井口バス停近くにある日吉神社(井ノ神社)&円満寺の南側にある池。

このような池に東から上った月を愛でたのでしょうかね。

こちらにはグーグル地図上「鐘楼」とありますが、この梵鐘が「近江で一番古い銅鐘」とのこと。

しかし鎌倉時代に鋳造された梵鐘などそうはお目にかかれません。刻字を眺めてみましたがやはり判読は諦めました。

⑨掲示板の通りになります・・・

円満寺の山号が掲示板の「己高山」ですが「和尚 釋慶尊」の名は当流の法名の如し。

 

日吉神社&円満寺(阿弥陀堂)などと記すと「何?」と思いますがこれが古い神仏習合の形態である「神宮寺」ということ。

鳥居があって鐘楼があって(⑨画像バック)阿弥陀さんが・・・のところですね。

「歴史の古さ」の半端なさよ・・・近江湖北。