岡崎城北から西に菅生川に合流 伊賀川 竹千代橋から

午前の法事が終わって少々の休憩のあと、玄関前のクロマツの低木の剪定を。次は山門近くのクロマツになりますね。普通は松の剪定は5月と11月末くらいというのが定番ですが、そうのんびりと時間をかけられません。

夏前に伐った本堂前のソテツはすでに新芽が出まくってボサボサ。本堂北のソテツに手掛け出したところで梅雨入りしてずっと放置状態になっています

 

私どものハッピーな7月(横浜の次男も私も7月うまれということで)は終わりこれから2週間、気合を入れて過ごしたいものです。

暑い夏ですが体調としてはもってこいの十分さ。

「御ありがたさ 御うれしさを申す 御礼のこころなり」の

称名がスッと出てきます

それは・・・季節は私の常なる思い、沖縄に似てきたからです。

まぁ内地の気候が沖縄に近くなったということは異常そのものなのですが。

単純に、沖縄に行かなくても内地で沖縄が味わえるなんて・・・ただの短絡・・・しかし気温的には沖縄は30℃代前半くらいなのですがね。

 

まぁ法事以外でしたら草刈り伐採の外仕事より、どこかブラブラっと意味もなくほっつき歩きたい。海でただ寝ていてるのもいいかも・・・寺は荒れ放題・・・

 

さて、昨日の菅生川端石垣の西端の看板あたりから土手をあがって少々、伊賀川とその川に架かる竹千代橋に当たります。

岡崎の地に「伊賀」とは・・・と思いつつ「岡崎城 本丸南側 月見櫓跡」で記した地図掲示板を思い出しました。

岡崎城の北側から西側に廻り矢作川と並行しながら菅生川に合流する形はまさに城の堀です。

 

その橋から竹千代通がスタートするのでしょうが③を奥に進めば「胞衣(えな)塚」に当たります。

⑤⑥は月見櫓方向。

 

8月に入ると恒例、NHKの特番が見もの。

昨晩は「沖縄戦゙記憶゙の旅路」を視聴しました。

対馬丸の悲劇は承知していましたがその記念館があるとは知りませんでしたね。

私どもの居た頃は那覇という繁華街でブラつくことはまずありませんしその頃まだその記念館はできていません。

ちなみに私どもの住処と活動の主たる場所は恩納村・読谷村・うるま市(旧石川市)で賑やかな場所といえばコザ(沖縄市)でした。

 

そして番組内にあった「ソテツの下は死体だらけ・・・」の語。

のんびりソテツの剪定ができること、それは何よりも仕合わせということです。あとどれくらいの夏を味わうことができるのか、できたら沖縄にも行ってみたい。

 

昨晩は奥方も盛り上がって、かつて住んでいたうるま市東山の家をグーグルマップで発見し、「まだある!!」と。

街路に面した2DKの借家で外観、変更点も見受けられましたが感動しました。

大家さんの名は伊波さんでしたね。「アウグスティヌス」という名のシャムネコもいました。沖縄には何故か野良のシャムネコ(もどき?)が多いのです。

今はどうなっているか知りませんが野犬の群れに遭遇することがありましたが気味が悪かったものです。

アバウトでのんびりした空気が流れていました。