藤原豊成と中将姫の宝篋印塔 笠塔婆支柱の四方石仏

世の中、「暗くなった」の感。

「家計の値上げへの許容度が上がってきている」と大金持ちの(日銀の)クロちゃんが言っていましたが、許容というより、ただ「受け入れるしか他はない」というところ。

庶民としては「どうしようもない・・・」ただそれだけ。

許容などできるはずもなく。

 

あげればキリがありませんが、ガソリン代のupは強烈ですし、私の日々の各メンテに不可欠、使用頻度の高い杉の間柱5本セットなどかつての3000円台から今は5000円以上に値上げされています。

飲食店でも軒並み料金改定のお知らせの掲示が目立つようになりました。

お店も体力が無くなってつまるところはそこに向かいますので庶民感情としてはイラつきは増長するばかり。

ロシアという国のバカさ加減には呆れて物も言えませんが、それを元凶のインフレ傾向を鎮静させるために、ここは国として対すべきことがあると思うのですが・・・

「年金下げないで税金下げろ」ですね。

庶民あたふたの中、おエライ国会議員のセンセーさまたちが安泰というのも腹立たしい。

 

当静岡県選出の破廉恥事案の「被疑者」・・・これは当人が雲隠れして説明責任を果たしていないためその語を使用しましたが、ただただ「そんなんでイイのか日本人」と呆れ果てるばかり。

 

昨日は結界石の存在について記しました。

その「不許葷酒」について当流の寺に「絶対にナイ」ことから煩悩への「許容度」が高いと思われがちですが、ハッキリ言って当流は「煩悩あってこそ」の宗派。

当然にそのセンセーと女性、飲酒の件、許容すべきではありますが、聞くところによれば議員としての道徳に反する何かがあったとの疑い。

それを週刊誌で指摘されて慌てて姿を隠したというのがその経緯でした。逃げ隠れするということは「ヤバい(弁明不可)から」ということですからね。

ただ逃げ廻っているセンせー殿、庶民感覚から程遠いその報酬、金員の色々が今後も自動的に振り込まれるわけで、そのセンセーのお仕事が「一度やったらやめられない」というところだけはよくわかります。

 

さて、結界石のある徳融寺。上記最後の画像の通り、山号が「豊成山」とあります。

右大臣藤原豊成の屋敷跡に建てられた寺と伝わります。

娘が中将姫

その二人の供養塔・墓碑両説ありますが宝篋印塔が二基。

幼いころの彼女の伝説も伝わる地でもあります。歌舞伎上演の際には役者がお参りするというのが常のようで、片岡仁左衛門の建てた碑も見えます。

 

奈良県史ではその宝篋印塔を室町期の「寄せ集め」風の記述となっていて評価の方はイマイチ。石質の違いも一見できます。

逆にそれら二基の間に建つ宝珠の失われた笠塔婆の四方石柱仏の件、こちらは鎌倉後期との見立てで半肉彫りされた諸仏の評価も高いものがありました。下部の欠損も惜しいところです。