「相良史蹟」創刊号の石山本願寺 父の記述と尾瀬

雨に降られても仕方ない・・・と半ばあきらめて目を覚ましてみれば朝から太陽が顔をだし、これは嬉しいサプライズ。

この晴れ間に感謝して午前の法事、続けて他家にて正信偈のお勤めを済ませました。

午後は溜めこんだ花ガラを地頭方の処理場へ持ち込んで一段落。

 

日曜オープン日の処理場はしばしば搬入が集中して渋滞がありますが、昨日は拍子抜けするほどスンナリでした。

帰宅すると雷鳴が、しばらくしてどっと雨が降り出し、そしてまた晴れ間。目まぐるしく天気が変わりました。

タイミングが悪ければ、酷い目にあうところでした。

 

その前日、東京の友人「女墓場」よりメールがあって「尾瀬に行って頭を冷やす」とのことでした。

私は呆れて「雨だろ(よせ・・・)」と忠告したのですが、昼過ぎに「ずぶぬれ」の文字と画像が届きました。

 

私が「ハカ・テラ・シロ」に参る場合は天候良好が絶対条件ですからその強行には呆れるばかり。

まぁ彼女の休日は土日限定ですから仕方ないのでしょう。

それにしてもよくやるよ・・・人の事は言えませんが・・・

 

季節季節のその地の変化を楽しんでいるようですし、この時期を見逃すと見られないものもあるそう。

5月の晴れ間のその景色①②もついでに送ってきました。

③が昨日。

人それぞれ、いろいろな趣向があるということで。

 

さて、「相良史跡」の創刊号から。

父の大澤寺初代今井権七(郎)の記述がありました。

まぁ、その手の話は爺様から聞いてきた話でさして目新しいものはありませんが、まぁ父も私同様、田沼さんより阿弥陀さん(石山本願寺)のスタンスが見えてきます。他の方々は田沼さんはじめ地元に特化したものですからね。

 

それにしてもその冊子は史跡研究会の発刊になりますが、巻末の会員名簿を見廻すと、既に逝去された方ばかり。

それも大層な会員数です。

これから若い人たちの参加がないと、消滅の憂き目も有り得ることで。

息子に「どうよ・・・」といえば笑っているだけ。

 

最後の拙寺本堂の画像は懐かしく感じます。

今は無き植栽たちが見えます。

そして右側のビャクシンの背丈が今より低く幹も細い

20年よりずっと以前の画像でしょうが、今のそれはずっとデカい。

ビャクシンという木がそれほどに成長のあとが目で見てわかるものとは。

本堂建立の時期に植えられたのかも知れません。