嘶軍馬即亡国 吉村長慶 キリストと釈迦の間に

いよいよ梅雨入りの予感。

昨日は「良き風」が吹き、お天気に恵まれました。

「無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」というくらいですからお日さまが出てきてくれること=阿弥陀さんに見守られているという感じにもなって嬉しいものです。

 

ちなみにその「良き風」は芭蕉が言えば「好風」ですがそれは景色のことをいいますね。

たまたま昨日の法縁で故人の法名が「釋良風」だったため、それを記したくなりました。

 

「五輪」の地水火風空は自然界の基本の基。

施主は当初からその中、地と火を除いた中から選びたい旨話していました。

「無常の風」(白骨の御文)と表現される中、その明解「良き風」は「生」へのポジティブ感覚。阿弥陀さまからそれをもって背中を押していただきたいものです。

 

さて、石積みから石仏、石塔への興味は他人様より少々余計にあるのでは・・・と思う私ですがその人のそれらへの格別な石への思いといえば殆どドン引きさせられるほど。

個性的であると言えばそうなのですが「その方向?」とちょっとした驚きをもって見てしまうのが吉村長慶という人。

たくさんの生前墓ほか無数の石仏、石塔を作った(石工を動かして・・・)石好きでした。

 

勿論超が付くお金持ち、有徳人であることは間違いないところですが政治と宗教にも足を突っ込んで、自らの名の「長慶寺」なる寺を建てたりしています。

まぁ金持ちの酔狂といったらそれまでの話。

 

突飛な題材で自分も登場したり、まったくスゴイの一言ですが、そのアピールするところはまさに「平和願望」というところ人間の良さというものを感じます。

 

昭和十二年の作、私が立ち止まったのは奈良の融通念仏宗、徳融寺の遺物(場所はこちら)。ならまち元興寺近く。

石碑にはキリストと釈迦が並んで寝そべっていてその間に当人が割って入っている様。

「嘶軍馬即亡国」の忠告が入っています。

内容は看板の通り。