やはり無風、そして気温高めで外仕事には快適な一日でした。
よって絶妙な墓参日和でもあって境内には明るい声が響いていました。
とはいえこれだけのお天気となれば行楽日和ということもあってお寺参りは「この次で・・・」という皆さんも多かったでしょうね。
大抵の土曜日の夜といえば自分が思い出す限り「寅さん」にチャンネルを合わせますが一昔前の時代のものとあって視ていて毎度毎度違和感というものはあります。
宗教的考証はゼロのところは以前記しましたがほとんど現代では考えられないような、いや当時であっても無茶苦茶、殆どフィクションともいえるバカバカしい単純人間主人公の人情ドラマですからね。
しかしそれを何度となく面白がって視ている私がいるというワケです。
近頃になって特に「昔はそうだったなぁ~」と思うのが「タバコ」を口にする情景の多さ。
その頃は誰もかれもその煙を吐きまくっていましたからね。
今はその手の景色はそうは見ることがなくなりましたので懐かしく思いますよ。
社会に分煙というものが進んでタバコ吸いたちが「隔離」の道を歩むことになったからですね。
以前も記しましたが、大昔、禁煙は当然の小田急線車両の中で、タバコを取り出して一服しだした私より年上の男がいました。
私はその人の目の前に座っていましたので「そりゃダメでしょう・・・」と注意しました。
するとその男は刃物を取り出して思わず私は沈黙させられましたが、父親と祖父のヘビースモーカーにヤラれてきた経験上その煙には人一倍の嫌悪感があります。何か注進したりすればキレるところなど「やはりね」でした。
映画館の中でも昔は平チャラでタバコを吸っている輩もいたほどで「禁煙」の掲示など殆ど無意味。むしろ余計ないざこざの元でした。注意するなどまさに「命がけ」でした。
タバコについてダメを指摘されると刃物を出すほど腹が立つことはよくわかります。父などはタバコを切らすと「禁断症状」とか言いながら人や物にあたっていましたからね。
今、刃物などを電車の中でチラつかせたりすれば即刻電車を止めることになってテレビ局が飛んでくる時代です。
愛煙家、嫌煙家双方にとって「分煙」というものがよき時代となったといっていいのではないでしょうか。
ブータンという国はそもそもタバコは禁止。
私にとってはその煙を吸い込む機会がゼロというところ、とても羨ましくおもうところです。とはいえ今通常に生活していて他者の煙で困惑させられることはまずなくなりました。
コロナでヘビースモーカーの「奥の墓道」氏と会う機会がまったくなくなったことも多きいですが。
しかし今回(12/9)発表されたニュージーランドの「タバコフリー社会」の試みというものは素晴らしいことだと思います。
わが国では依然、刃物ならぬ「喫煙する権利」なるものを振りかざしている人たちがいますが、皆の共通の空気、大気を汚していることをあまり理解されていないよう。
なによりそのタバコは当人の癌はじめ各種病気の元。それを他人にまで及ぼすという害毒についてしっかり国の方で考えていただきたいものです。
ニュージーランドの試みはその「刃物」を振り回すほどの常習性のある人を対象にしておらず、現状「14歳以下」といいます。
一瞬何の事?と思いますが実に素晴らしい。
当然来年は「15歳以下」翌々年「16歳以下」・・・のように、年々それが上がっていくわけで、将来、国の屋台骨となる若き国民にそのターゲットを絞るというやり方。時間の経過とともに喫煙者はゼロに。
日本もそれができないものかなどとと思案するも、タバコ会社の存続(そちらでは「タバコ農家の存続」を口にします)に気を遣うスジもあって一筋縄ではいかないのでしょう。
あれだけ健康を害することがわかっていてやはり国民の健康よりも経済の方にウェイトをかけていきたい風を感じますね。
さて、昨日の元興寺の二つの堂の南側には無数の石塔が並べられています。
とはいえ墓域というよりも「集められて並べられた」もの。
よって今となっては墓ではなく墓標ということになります。
室町期を主に当尾で見られるような石龕二体仏なども見えます。
この様相は圧巻ではありますが奈良時代のこの手の寺の境内には墓地の存在はありえません。
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