松平郷 松平東照宮の家康産湯の井戸

昨日は大腿骨等の骨折を起因とする高齢者の「五年以内死亡」について記しましたが、骨折は高齢者に限らず誰でも起こり得ること。

事後快方の行方は治療から同時進行するリハビリに当人が着いて行けるかどうかにかかっていることですね。

高齢ともなれば、根気も精神力も消えゆく身でありますから脱落も無理もないことです。だから「5年」なのでしょう。

 

また、「老」ではなく、高齢と骨折とは関係なくいわゆる「病」によって長期療養という例も多々あります。

昨日はたまたま11年間の診療入院のうえ亡くなった方と5年間の療養も「悪くなるばかり」という方のお話を伺いました。

前者は50代後半に若年性アルツハイマーを患ってから乳がんが発見されそれが、転移を重ねた結果の「死」でした。

終末はもはや意識が無くなって昏睡状態に近くなっていたそうですが、後者の方の進行性パーキンソン病の現状も同様のことといいます。

 

病にも色々あってまた、同じ病であっても人によって症状がまったく違って出現し、甚だ「よくわからない」というのが本当のところ。

そして他人様の病の辛さはやはり「私がそうでない」ことから、なかなか身に伝わってこないものがあります。

「気の毒なこと」とは思いますが、ニワトリではありませんが、ついつい刹那のうちに頭から消えてしまうものです。

 

かといってその件「私はダメだ」とは言い切れません。

「他人(ひと)のことはわからない」のは人間の性。

またそれぞれの人たちは「私の問題」を大いに抱えていますから。私なんぞは「私のこと」すら、わからないくらい。

みんな「いっぱいいっぱいで生きている」ということですね。

 

そこのところが御開祖の言う「悪人こそ・・・」の悪人正機と「他力の本願」なのでしょう。

なんでもかんでも意に反する都合の悪いことあれこれ「しゃあない しゃあない」とそれでも感謝しながら「今」生かされているご縁を心にして、前に進んでいこうとする心が当流の言う仏心でしょうね。途中サボったとしてもそれもヨシ。

 

さて、「老と病」そして「死」について記しましたから「生」について。

本日の「生」は「産」の方。

この字は「生きていく」苦しみを含めた産(生)まれたことから始まる「生」で四苦のうちで一番に長期に渡る苦しみなのかも知れません。

人によっては「楽」の境に持ち込める「遇う」があるのもこの生ですから人次第、多岐にわたって変化するところでもあります。

 

松平郷の松平東照宮には「産湯の井戸」なる井戸があって、まずは鳥居の下にその存在を主張する掲示板がありました。

 

世にはその「産湯の井戸」の類のものは案外とどちらでも目にします。

それでいて、ひねくれ者の私は大抵「眉に唾」というところでその言葉をサラリと流してしまいますが。

 

何故ならば家康生誕の際の産湯に使われた井戸である・・・ということですから、一瞬間、こちらで家康が生まれたとの主張ならば「都合のいい後付け」かも・・・などと考えたのでした。

家康が岡崎城で産まれたというのが定説でそちらにも産湯の井戸はありますからね。

 

ということで「ん、何々・・・」という具合にその説明文を眺めてみれば「伝承が多い」と前置きしながらも、「竹筒に詰めた井戸水を早馬で岡崎城に運んだ」と。

よって上記の説に矛盾ナシということで疑いの念は一応は晴れたのですが、そもそもこの頃の松平郷の歴史は「わからないこと」ばかりで「~である」などの断定はできませんから。

 

まぁえげつなくも私なら「天下取りの産湯」などして、竹筒に込めたそれを土産として売ったりすれば・・・などと考えてしまいました。裏書は「入浴剤」かな・・・。

密閉性を考えればペットボトルかな・・・

などなど、お遊び、お遊び。