松平郷 徳阿弥の放浪の仕舞い 松平太郎左衛門親氏

天気予報を参考に、午前から「さぁ、ひと仕事」という具合に取り掛かりました。

すると雨がポツポツと。しばらく様子を見ましたが雨のやむ気配はなく、途中で放り出しました。

 

カンタンなセメント敷設の仕事でしたが降雨はさすがに具合悪し。型枠のみ工作設置しておしまい。

晴れとはいわずもせめて雨が降らなければやれる仕事はあるのですがね。昨日はそのあとの仕事の予定も入れてありましたから残念な一日でした。

それが先日来持ち込んで並べた石垣の設置しなおしです。

どちらにしろ大差ない仕上がりになりましょうが・・・

 

また、搬出する石垣が置いてある場所は雨が降ればぬかるみますので、そちらでの行動ができる土日のその3日~4日前の連続した晴天が必要となります。

土日は大抵は法事が入っていますのでタイミングがなかなか合いませんね。

 

さて、法蔵寺(昨日まで)が松平家の菩提寺としての始まりは松平家そのものの始まりと言われる松平太郎左衛門親氏がこちらのお寺の有徳人となったことから。大旦那ですね。

徳川家の「菩提寺」といわれる寺は多々ありますが、法蔵寺も同様、宗旨は浄土宗というのが定番。

家康の旗印「厭離穢土 欣求浄土」の通りです。

 

それはそもそも始祖親氏が「徳阿弥」(→當麻山無量光寺)を名乗り時宗の念仏僧としての放浪の結末、三河松平郷に赴いての出世だったということ。

まぁその徳阿弥のストーリー含め、徳川家の源氏出自を脚色演出の創作だったというところは各指摘されていることで、その時代に関わる系譜等どれも「一説に・・・」付きの記述となることは致し方なし。

「都合よく書き換える」、「体裁を整える」は勝者の常道ですからね。

 

画像は松平郷(豊田市)に建つ松平親氏の像。

武将の銅像数ある中、私はこのあたかも短パン+ゴム草履の如くの恰好でデカイ人差し指を指す姿は「悪くない」と思います。

キレ者の性質(タチ)を連想。