当山十世祐賢 小島蕉園 天城山馬酔木はまだ早い

数日来の夏日に誘われて、友人の「女墓場」はちょっ早いかな~と思いつつ天城山に向かったそうです。

目的は山歩きもそうですが「馬酔木のトンネル」とのことだったそうですが時期が早く、それにはお目にかかれなかった残念。また、チンケな頂上部分と木々に巻き付けられたあの国旗らしきものの「謎」について知らせてきました。

 

だいたいの趣旨はわかるような気がしますがそれを山の中の木々に巻き付けるその意味は首を傾げるばかり。

 

「馬酔木」はその字面の通り毒っ気のある植物ですが、日本固有種ということ、可憐な花ということで国内広く人気のある植物と聞きます。私にとっては興味の外ですが。

その文字は「馬」からはじまりますが説として「足が痺れるから・・・」その名があるとも聞きますね。

 

まぁ酔っぱらう程度のシビレならば大したダメージも無さそうですし、かといって他人に対してどうの・・・など迷惑など無視していいレベルかも。気にする必要は無さそうです。

ただし高校時代に私にその知識があったとしたらきっと「奥の墓道」氏に差し出すお茶の中にそれを煎じて混入、様子を見たでしょうね。ニヤニヤしながら。

以前ブログでも記しましたが渋柿を彼に喰わせて大喜びしたことが思い出されます。柿を思いっきり投げつけられましたが。

 

その「酔」の文字でまた「酔狂」などありました。

悪戯の無い趣向もそれはそれでヨシ。

 

昨晩、プーチン外交、訪問先の国の歓迎を受けてのロシア国家斉唱の際、涙をこぼす彼の姿が映し出されました。それを視てかなり「ヤバい」と思いましたね。

自己陶酔の域に入っている様でした。

「私こそロシアの代表者」、その国家について自身とオーバーラップさせての感情移入と陶酔の姿なのでしょうね。

 

私は早速ユーチューブ(歌詞付き)にてロシア国家を確認。

曲に関しては馴染みのあるものですが歌詞をまじまじ拝見するのは初めてのことでした。

それはそれは勇ましく、ロシア人の心を奮い立たせ何よりも「愛国心」なる感情をそそるものでした。

「世界で唯一無二」の存在を煽る強烈な歌詞。

「一番でなくてはイケない」の如くの「スバラシイ ロシア」の歌。

 

そしてそれを視て私はとりあえずの結論に導かされたのでした。

「国を愛する心」の強要、時々聞きますが、それは「他国、他国民を蹂躙してもかまわない」という発想に短絡して繋がりやすいもの、またそれに他ならないということを。

自身の国家(あるいは自身そのもの)第一の思想ですから当然に他の権利は二の次となることは当たり前なのでしょう。

 

私は坊さんですから「反省する心」「懺悔」について強くお勧めしますがね。

自身も「強くある」必要は無いですし。

それがキレイごとと笑われるご時節になっていますが「思いやり」の心の必要性、一番大事なのですがね。

 

結局は国家間の金儲け(経済主導)なのですよ。

その矛先が他国に向かうのが戦争なのですがかつての日本がそうでした。

為政者の自己陶酔の結果、繰り広げられる大量殺りくを止められないこの人間界の無力について「それも人の性(さが)である」と達観するのはカンタンながら、陶酔のサイコ「愛国心」やらの旗振り役の出現についての対応はやはり次のテーマとなるでしょうね。

 

まぁその陶酔の元凶が今去ってくれたとすれば「とりあえず」はこのバカバカしい殺し合いは一応の終結は見られるのでしょうが、狂気の陶酔者の名乗りはこれからも大なり小なりあるでしょうからね。

まずは自分に酔っちゃうというのはイケません。

 

さて、先日来記している「新発見」の掛け軸、たくさんの情報を得たわけですがあの小島蕉園の「歯」についての詩の前書き部分、これは拙寺十代の祐賢が記したものですが、小島蕉園その人の紹介の如き文を記すのを忘れていましたのでこちらに記します。一番最後の画像の赤色☆部分になります。

 

前書

「又小嶌源一素朝臣  脱冠而隠市為醫業  売薬於都下

 不戴其価限以二十八銭  雖治王侯疾所受不過其限

 文政七年一位橋公(一橋治済)聞君事請于 

 朝借其人全治本州相良之地 

 尋常来當山 為詩話賜数詩其中一詩也」

 

蕉園が江戸で医師として活動していたこと、薬代として二十八銭を上限としていたことが記されていました。

これが日本の「医術」の本来の姿なのでしょうか。

愛すべきは小島蕉園の人であり文化ですね。