歯なしになる 当時としては当然 小島蕉園 

先日の「春の法要」の私のお節介、いつもの健康寿命増進についての件①肉を喰え②外に出ろ・・・でしたが、①は年齢を重ねると脂っぽいものを敬遠しがちになることからタンパク質不足・・・筋肉の減少に繋がること。

②は動かないと筋肉が無くなる(神戸大学から)のは無重力空間に居た宇宙飛行士~地球に戻っても他者に抱えらなくては歩けない~図を想い出していただきました。

宇宙空間に居ることは「寝たきり」のようなものだと。

 

その「歩くことができなくなる」理由のもう一つが外に出られないということ。

要は太陽光線(適度な紫外線)を浴びられないということです。

宇宙空間では強すぎますからね。

紫外線が浴びられない(外出できない)のは大部分の人たちの現状と同様ですね。

 

昨日報じられていましたが

「新型コロナウイルス感染症の対応病院で、医師、看護師ら医療従事者の約90%がビタミンD不足」になっているといいます。

要は室内業務の超繁忙によって「外に出る時間がない」からですが当然でしょう。

 

そしてコロナ社会にあってその件、どちらでも同様、自宅に「籠りっきり」はそのビタミンDの生成の激減に繋がって骨粗鬆症になるということは良く聞く話でもありました。

また他にそのビタミンD不足は免疫力の低下を招くといいますから「外に出ない(陽に当たらない)」は強烈なる致命的を思います。

色白はキレイとはよく言われていますが、実のところべらぼうに不健康ということですね。

 

さて、このところずっとハマっている、拙寺のあの掛け軸の件、本日が締めになります。

小島蕉園の七絶一首がありました。

 

まず前文として

本州相良一橋縣令小嶌源一詠歯之詩 七絶一首」と。

 

表記

「 三四年来頻々墜

  所餘無幾今又脱一

  歯因有作

       甲申八月廿六日也

 

 咀嚼功労五十年 

 剛柔有数任天然

 痴情恨厭糟糠去

 生死従吾舌獨全

         彝草 」

 

 

小島蕉園の生涯は56年。明和八(1771)~文政九(1826)ですが

「甲申」は文政七1824のこと。

蕉園53歳の時であることがわかります。

まぁざっと40代後半から「頻繁に歯が取れる(堕つ)」という現実があったようで「もはや勝手にしやがれ」の心境か・・・。

 

「生死従吾舌獨全」がそれを物語っています。

「舌」で噛めばイイの開き直りは・・・

 

その前の「痴情恨厭糟糠去」のところの叔父の見解もありました。

 

「糟糠 去」がポイント。

 「痴情の恨みつらみ」が触れられていますが、それが出てくるということは当人も心のもやもやが残っていたことは必定。

まぁ妻のことでしょう。

彼は母親との関係が多く伝わっていますのでひょっとすると今言う「マザコン系」かとも。

奥さんがそれで出て行ったの? などと邪推。

 

江戸期の歯の脱落の件です。

歯の脱落(髪も白く)といえば真っ先に思い浮かぶのが九度山の真田信繁が思い浮かびます。

それが慶長十七(1612)頃とすれば45歳~40代後半の事でした。

現在のように「食事後は歯磨き」の習慣はなく母親が「歯を磨いて寝なさい」の指導も無かったでしょう。

 

昭和に至っても「80-20(80代で20本残し)」などいう発想もあるはずなく、私の祖父も50代にして総入れ歯だったようでした。

その世代で「歯が無い」は当たり前のこと。

 

また奥さんを怒らせて出ていかれる(推測)など案外と男社会であってもあったのか・・・などと。

私も気を付けなくては。

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (木曜日, 07 4月 2022 08:43)

    昔も今も大した違いはないということですかね。
    いいものが残されていますね。
    お寺ならではでしょうね。

  • #2

    今井一光 (木曜日, 07 4月 2022 20:08)

    ありがとうございます。
    私もこの小島蕉園の内情の吐露はなかなか面白い史料と思います。