飯津佐和乃神社 田沼ゆかり三好と倉見の石灯籠

雨が降り出す予報がありましたので、先日伐採して放置したままになっていた枝葉と花ガラを処理場へ運びました。

前回軽トラを使用した際に暖房のレバーを一杯にしていたようで、しばらく走ると「熱風」を感じました。

慌てて冷風に切り替えましたが、外気は温かいを超えて「暑い」のレベルになっています。

ほんの少々の時間差でまさに激変ですね。

夜間の外気は涼しく感じましたが庫裏居間は27℃。

西陽の直射シーズンになったということですね。

そろそろエアコンのテスト可動のタイミングを・・・

 

最近ブログでは地震の脅威いろいろ、文化財と安心について記していました。

先日、「石川・能登地方の深いところで何かが起きている」なる表題を見ました。

地震調査委員会が、3月に地震が続いていた石川・能登地方で地震活動の活発(観測された震度1以上の地震22回 1カ月の地震として過去最多)状態をそう表現したのでしたが、その原因が「よくわからない」とのこと。

しかしいかにも不気味さを醸し出していますね。

 

先日は太平洋側、中央構造線が走っている新城の震度4がありましたが同じ三河の深溝断層の先にあるもの・・・などと考えれば日本列島を真中で分断して能登半島の下に抜けていそうな気もしてきて。

その辺りで大きな地殻変動があったとすれば周辺地域も無事でいられるわけがありませんからね。

日本列島が真っ二つに割れたり・・・?

そんなことになればいわゆる「日本沈没」というヤツです。

 

ブログでは石灯籠など歴史遺物の心配をしていたわけですが、その件考えると奈良春日大社の悲惨が目に浮かびますし、石塔が集中する関西圏などあげていればキリがないくらい。

そしてまた能登といえば私の思う場所といえば七尾城(ブログではまたいずれ)です。

そのニュースを聞いてあの石垣の壮観、「どうなっちゃうのだろ・・・」と思うばかりです。

私が向かった時、正面の日本海側からの道は土砂崩れで通行止め、迂回して裏山からの道を辿ったくらい、デカい山城です。

まぁ他所のことよりも自分の身のまわりのことを見ておけ・・・でしょうね。

 

さて、先日は県内地元情報に滅法詳しい「お祭り~」さんからご指摘を頂きました。

「飯津佐和乃神社の拝殿前には、田沼意次侯重臣の三好四郎兵衛が安永7(1778)年、倉見金太夫が翌安永8年に寄進した一対の石燈籠が歴史遺産として残されています」とのことで、早速確認に行ってきました。

何せ歩いて5分、目と鼻の先ですからね。

 

こちらの神社といえばご近所すぎて最近は中に入ってブラつくことすらしたことがありませんでした。

よって10年振りくらいでしょうか。

特にこちらの思い出としてあるのは秋の祭典の古い話。

恒例の演劇と歌謡ショーに夜間、祖父がステージ前の木に寄っかかって観劇している姿を思い出します。確か浴衣に下駄の出で立ちだったかと。

必ずその時間になると向かっていました。

昨日はその木を確認しながら本殿の階段を。脇にはシダレの残りがまだ咲いていました。

 

そして思い出すことといえば、お祭りの日の本殿裏の暗がりに屯する不良たちでしょうか。

その辺りに善良な学童が迷い込めば悪いお兄さんに因縁をつけられる可能性が大。

避けるべき所といわれていましたし教師たちも目を光らせる場所でもありました。

 

「お祭り~」さんから頂いた情報は私にとっては新鮮なものでしたし新しい発見でした。

また私など「飯津佐和乃神社」の正式名称を瞬時に記すことができず、ついつい「波津~」と記したくらい。

 

やはり灯篭の倒壊について「危険」の注意表示がありました。

お祭りの時は子供たちが集まりますからね。

まぁ最近は神社、お寺の境内に子供を見かけなくなりました

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    お祭り大好き (木曜日, 14 4月 2022 20:39)

    早速お出かけいただきご確認くださり有難うございます。
    本日はブログの公開時間が遅かったため何か発生かと心配しましたが、杞憂に終わりました。
    熊本地震も早や6年経過し当地方の地震も危惧されますが、身近な問題として気温の変動が大きいためコロナ禍と合わせて体調に気を配っています。
    引き続き健康にご留意のうえ楽しみなプログを発信願います。

  • #2

    今井一光 (金曜日, 15 4月 2022 05:48)

    ありがとうございます。
    公開時間を24時間間違えていました。
    結構やらかします。注意欠落ですね。
    独りよがりの支離滅裂ですがいつもおつきあいいただき恐縮です。
    またよろしくお願いします。