日本史上に顔を出したスウェーデン人 ヴィルマン

昨日は「まん延防止」の延長について「私には影響のない」などと軽口を叩いたわけですが、昨日お参りに来られた料亭の板前さんが仰るには「店が閉まりっぱなしで遊んでいるが、将来が不安で転職を考えだした」と。

そしてタクシーの運転手の方は将に今「仕事が無い」。

要は夜間開けている店がないため、客が皆無とのこと。

影響を散々に受けていられる例は身近にたくさんあったのでした。無知をさらしました。

 

先日のブログの表題に「厭世」なる言葉を記しましたがまさにそれに近い気分がこの社会に満ち満ちていたのですね。

「やる気がなくなっちゃった~」の声が聞こえます。

 

連日のロシアによるウクライナの破壊とホロコーストのニュースもそう。映像から思うこと、不愉快このうえありませんし気分が落ち込みますね。この時代にあの手の現実映像を見せられるとは思いもしませんでした。

 

もはやロシアの人たちへの同情はできなくなってしまった感があります。

こちとらも人間ですので、あのような無茶苦茶を大手を振ってやりまくっている国とその国民に対して(本当は良くないことですが)完全に不信のイメージが。「嫌悪」の感情というもの、誰もが沸き起こったのでは・・・

 

私が一番に「駄目対応の日本の三流企業」を思ったのはブログでも何度か示唆している、マイクロプラスチック海洋汚染の元凶であるフリース(ペット)で一発当てたあの会社。

新疆ウイグル自治区の強制労働の件でも極めて怪しいと指摘されているブラック企業です。

ロシアに50店舗を開業していてガッツリ稼いでいるといいます。

 

世界中の一流企業がロシアでの営業をとりやめたり撤収している中、その会社は何もしないで静観の姿勢を貫いています。

他国同業企業(スウェーデンの「IKEA」、「H&M」などなど)が

店舗閉鎖を決めていますのでそこに居残りを決め込むことはいやはや「一人勝ち」の予感。

より一層の儲けが期待できるというものでしょう。

その態様を日本では昔から「卑怯」といいました。

聞くところではウクライナに「寄付をした」と言いますがそれは誰が見ても隠れ蓑。ロシアから撤収して尚且つウクライナに寄付している企業もあるくらいですからね。

50店舗を閉鎖しての営業機会の損失から比すれば「撒き餌」のレベル、建前でしょう。

何度も記しますがサハリンの天然ガスプラントへの投資と同様、日本の企業はえげつない。

スウェーデンのイメージはますます爽やかさUP。

 

そもそも私は日本国内のそんな店(ロシア居残り組)で買い物をすることはありませんがね。

気分が悪くなります、「加害者の国」「人殺しの国」で一儲け・・・など。

私も微々たるものですが大切なおカネをそこに落とすことはできません。経営の思想というものがプーチンと同じのようにも感じますから。今度H&Mの店でも顔を出そうかしら・・・

 

いずれ世界の目からも違和感の声が上がってくるでしょうね。日本人に対してですよ・・・

まともな国とまともな企業は手を引いているというのに。

本当に呆れます。

 

画像は岡崎伝馬通。

通りに面して各所にモニュメントと掲示板が数多配されています。

その矢作橋の記述の中にスウェーデンから来たヴィルマンの名がありました。

 

江戸初期に来日して「日本旅行記」など彼の目に映った日本について記しています。

そちらの掲示板には矢作橋について訪日外国人たちの興味を惹いたことが記されていました。

ちなみに拙寺にのこるあの矢作橋の図面については未だ謎。

史料館の長谷川氏が岡崎の教育委員会に問い合わせていただいたのですがまったく不詳のようです。

 

当時はオランダの商魂たくましい時代、そのメッセンジャーとしてヴィルマンが来日したのでしょうが、当時の日本人の心は無垢だったでしょうね。

まぁ商売はやるからには利益が出なくてはならないものですがやはり最低限「道義」や「倫理」というものが必要でしょう。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    がつお (水曜日, 09 3月 2022 14:34)

    矢作橋の図面の話しですが、岡崎市史によると何度か掛け替えが行われているようですね
    以前のブログの写真(3枚目)から丑年から始まり寅年に納めて11月10日に渡初とあります
    その年回りでいくと2回目、4回目、8回目ですが、月まで考慮すると2度目の掛け替えの延宝のものではないかと推測しますね
    長さや幅も一致しそうですし
    といっても私も素人なのであくまでも推測でプロに確認となるのでしょうが
    リンク先の249コマに延宝2年11月10日に竣工し渡橋式が行われて(岡崎)連尺町の太田道専老一門が渡初を行ったとあり、参加者名も記述があります
    個人的にはどうしてその図面(後世の写しかもしれませんが)がお寺にあるのかに興味がありますね

    岡崎市史. 第8巻(矢作橋の項)
    https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1240764/238

  • #2

    今井一光 (水曜日, 09 3月 2022 19:45)

    ありがとうございます。
    いつものように興味深い史料のご紹介ありがとうございます。
    まさか矢作橋だけであれだけの記述が残されているなど思いもしませんでした。
    岡崎市の教育委員会であってもその史料の存在について教えていただいていませんでしたから。
    登場する名についても一通り眺めてみましたが、現場差配以外三州地元限定のようですので当遠州との関りは薄そうです。
    しかしながら、がつお氏のその調査力に恐れ入ったところです。