大正八九年流行感冒病死者群霊 大阪市天王寺一心寺

一昨晩の絶不調につき私はすべてのやるべきことを放り投げて早々に布団の中に潜り込んだのでしたが、真夜中にフラッと起きてのトイレタイム。

次の部屋で休んでいる奥方の横を通る際、それに気づいた奥方はふっと起きて「オイ、生きてたのか・・・」と声がかかりました。

その時点で頭の痛みは消えていましたので立ち止まってその布団の上に丸まっていた五六八(いろは)の頭をなでに。

すると奥方は「枕元に立ったな・・・足はあるようだが・・・」。

 

その台詞は前夜に視た大河ドラマでの笑いのシーン。即座に「オレは頼朝か・・・」と返しましたが奥方は大河は視ていません。ただの偶然でした。

しかし「枕元に立つ」的なことについて番組では「吉」のイメージを漂わせていましたがそれは普通「亡くなった人」がこの世に未練があって姿を現すものと感じますのでちょっと不思議な演出。

 

朝起きてからその話をしながら小田原在住の時の遊び場だった真鶴町岩の海岸(頼朝船出の浜)がその番組の最後で紹介されていたことも。懐かしい海岸の図で勝手に感動した次第。

 

さて、本日は大阪。

少し前ですが相良在住の方の親族で東京にて独居死され、その方の遺骨を大阪の墓地に埋葬することになったということで法要を依頼されました。

そのお寺が一心寺。かなり前に真田信繁の抜け道伝説で記しました。

 

今、東京と同等、新コロ蔓延で悶絶している地、大阪ですが、それが「100年おきにやってくる」の根拠、1918~20年の「スペイ

ン風邪」の猛威による死者の慰霊の碑がその寺の墓域にありました③。

 

当時現状の如くと同じことが起きていてその多くの死者たちを助けられなかった「反省」として建てられたのでしょうが、やはり今この様は当時の反省が生かされていないのでしょうね。

そのスペイン風邪の関西圏での今伝わっている死者の数字は大阪22005人 兵庫23320人 京都10964といいますが、これは毎度大阪のトリックと思わせる「不詳」扱いがあったようですね。

今も「FAXの集計が間に合わない」「検査薬が間に合わない」「病床が間に合わない」(自宅療養者数突出)のヘンテコな理屈がまかり通っていますが、日々上がってくる発症者、死者の数が多すぎて集計を放り投げたというところでしょう。

その大阪の数字の集計では1918年から20年7月まで約1年分が空欄になっているとのこと。

私もその件、わからないワケでもありませんがね。放り投げたくもなりましょう。

 

NHKの放送用語委員会専門委員の宮澤清治 元気象庁天気相談所長の「防災歳時記」に「スペイン風邪、猛威を振るう」にあげられた大阪府の数字はもっと低かったのですが、冬場この時期の「かぜ」の心得が記されていましたのであらためてこちらに転機します。

古い記事ですが新コロ対策と同じこと。

 

寒さと乾燥がかぜを流行させる

かぜは、いわゆる普通のかぜとインフル エンザに大別される。

最近の知見によると、かぜが冬に多いのは次の理由による。

①かぜは、ウィルスが引き起こす。多くの かぜのウィルスは、低温・低湿の寒い季節のほうが、夏よりも長時間生存できる。

②かぜのウィルスは、病人の鼻やのどか ら、くしゃみやせきによって飛び散り、室内を漂っているうちに他人に吸い込まれてさらに広がるという感染経路をたどる。

寒い季節は、窓を閉め切った室内に大勢 の人が集まることが多いので、かぜのウィ ルスに感染する機会も多くなる。

③人の呼吸器の抵抗力は寒いと低下する傾向がある。

厚生省によると97年秋から98年春にか けてのインフルエンザの患者は、ここ10年で最も多く、約127万人が病気にかかり815人が亡くなったという。

防災関係者がインフルエンザにかかったら防災活動に支障を来たす。39 度近い発熱やのどの痛み,頭痛,全身のだるさなどの症状が出たら早目に治療に専念したい。」

 

話しが飛びますが昨朝の民放の番組で「なんだそれは・・・」と思わす「わからない」理屈がありました。

「感染者は減っているが死者は増えている」に対して「死者のうちコロナ感染で亡くなった人であるとは限らない」の如くの小賢しくそれでいて的を射ていない論を吐く御仁がいました。

経済重視の思想背景(イザとなればカネで解決)とそれらのプッシュがあるのでしょう。

 

コロナウィルスのダメージはその人の今のコンディション(免疫力)、ヒトが抱えるそれぞれのコロナ以外の病気に対してそれぞれまったく違うということと、コロナウイルスがそれらヒトの不健全要因の暴走に引金を引いてしまうということがわかっていませんね。

死者を無くそうという努力を投げてはイケませんよ。

無知蒙昧の輩、コメントする資格なしでしょうね。

一日が不快になりました。

 

その「大正八九年流行感冒病死者群霊」碑の建立者は大阪道修町の薬剤師夫婦によるもの。

その道修なる町名に坊さん関りが漂っていますが、一説に本願寺の教如さんが建てた渡辺御堂の堂修(坊さん)が道衆になったとも。

その地は江戸時代に清やオランダなどからやってくる薬剤の仕入れ問屋の集まりからはじまった薬の街。

今でも名だたる製薬企業が。

その中に今週中に申請されるのでは・・・の期待の経口薬のメーカーがありますね。

それが出されてバッチリコロナに有効ということがわかれば春の法要の世話人会を3年ぶりに開催することにしましょう。

 

①②は一心寺のその碑のちかくにあった供養碑で佇むネコ。

良さげな毛並みで野良とは言い難い堂々たる容姿でした。

お寺で養われているのかも。

④は先日お参りに来られた檀家さんのお土産。

こういう品を大河ドラマのタイトルを付けて販売するにはNHKのお墨付きが必要でしょうね。では1個あたりお幾らくらい支払う契約となるのか・・・などと少々興味深い。