「抜け道」は誰も欲しい裏道  真田信繁  一心寺

「友人の友人」で公営ギャンブルにハマっている人が複数います。一人は確か豊橋競輪場の真ん前の城、二連木城のところでついその場所から思い浮かんだものでしたが、好きで好きでネット全盛の中、「実物を見たい」とそこまで足を運ぶという兵(つわもの)でした。

もうひと方も豪快そのものです。

デカく勝ったら大盤振る舞いしてバーッと使いまくって、いわゆる「宵越しの銭は持たぬ」という例。外れっぱなしで眼が出なければ借金です。後者はネットを駆使しているようですが、結局の「負け具合と荒んだ生活」は同様です。

 

まあ「後先考えない」という自由生活は周囲からすれば唖然ではありますが、むしろその豪傑風は何とも親しみやすい。

しかしちょっと待ってください・・・これってギャンブル依存症ですよね。

その他私の周りでにも家族からその患者についての家族の悩みというものが聞こえ行きます。とても不幸せ感を漂わせています。

 

日本でそういうパチンコ含む公営ギャンブルに趣味レベルを超えた病的な関りを持つ「患者」はどれくらいいるかといえば536万人(人口の4.6%)とのこと。驚かないではいられません。

数字の根拠は専門家の推測ではありましょうが、この数字は先進国の中で断トツともいいます。

ここへきてIR推進法案(カジノ法案)なる賭場開帳の下準備たる法整備が出来上がっていますが、私はイヤですね・・・。

家族から悲壮感溢れる言葉を聞くのは・・・

 

お国のお墨付き、ドンドン使っての旗振りで、ドンドン儲かる方はその業界と関わる政治屋さんだけで依存症患者はドンドン溢れてドンドン破産するというわけです。

 

給料を賭場にすべて献上するという生活にハマっている方々がたくさんいるということはいかにも不健全な国民を増産しているようでもありますね。

みんな不幸になるような気がしてなりません。

「自己責任」の声も聞こえてきましょうが、その他者を見捨てて突き放す語は支えあってよりよい生活をしていこうという精神からはかけ離れています。

 

しかし依存症に陥った人への対応は大変です。

自らを省みて改善させようという意思がなければ外から意見することは往々に難しく時に険悪な雰囲気になりかねません。

「やけのやんぱち」の生活志向の方に道義を説いても無理なのですね。

 

カジノ法案をゴリ押して法案を通した役人さんも依存症の患者さんも必ず抜け道の言葉を持っています。

役人さんや政治屋さんもみなそれぞれ抜け道、裏道大好きですが・・・。

 

それを言っちゃあおしまいですね。

そう「解釈の違い」と言わなければなりませんでした。

まぁまっとうな頭を持ち合わせていれば「屁理屈」と一掃されてしまうことを皆さん自分がしたい方向を、罪や非道徳から逃れるために正当事由として仰るものです。

 

依存症患者の継続の理由は趣味であり「ほどほど」を理解している旨を仰ります。

カジノという賭場を開帳したい方は「レジャー」であってこれまでの公営ギャンブルとは違う・・・勿論パチンコはギャンブルではない・・・とのことでしょうか。

 

さて、真田信繁の「抜け道」も複数その言い伝えがあります。

以前ブログでは三光神社のそれを記しましたが、こちら一心寺(場所はこちら)にもありました。

こちらの寺は四天王寺茶臼山のスグ近く、何よりも真田信繁の終焉の地と言われる安居神社が道を隔てた真ん前にあります。

 

この「抜け道」伝承は後世の人々が出来れば生きていて欲しい、何とか逃げ延びて欲しいという儚い期待がこういった井戸などの構造物に向いていったのでしょう。