長沢 観音堂城の北側も国道一号線開削破壊済

昨日は負の遺産(アベノマスク)の処理について真っ当な国民の困惑というものを記しましたが、問題はこれからのことですね。

総理殿もここへきてあのような物に足を引っ張られるのはかなわないでしょう。

 

国の、特に毎度記していますが厚労省の間抜けっぷりときたら酷いものがありますね。

国内産の経口治療薬について昨年から「申請があれば・・・」と秋くらいにありましたがそれが「今年中」そして現状「今年度中」の雰囲気。

治験数が少なかったなど理屈は並べられているようですがアメリカの物はバシバシ承認し国内産は「マテ!」の状況は・・・ガッツリとアメリカ医療界からリベートでも貰っているのでは・・・と勘ぐりたくなりますよ。

 

また、厚労省の「オレが仕切る」の執着はやはり国民のためになっていませんね。

そのアメリカ産の承認済みの薬剤ですら、市場に出回っていないのは、くだらないというしかない管理者根性。

無理難題のあれこれを並べ立てて取り扱い薬局を絞り、発注納品点数も「3人分まで」の如く限定するというところ。

取り扱い店舗が限定されている中、そのアメリカ産の薬剤も市中に出回らないというこの変な国。

管理しきれないのですから民間にすべて「ブン投げる」というのが一番です。当初のはじまりはあの「監獄船」のらでした。

 

まぁどれもこれも役人と政治屋を見ているとそれを思わずにはいられません。

 

さて、今日も長沢。

あの国道1号線、長沢の交差点を南に曲がって真っすぐ突き当れば岩略寺城の山系となりますが、山側に上がれば名鉄の長沢駅。

そのスグ上段を東名高速が走るわけですがやはりそれらの敷設で破壊されたのであろうと思われるのが織部屋敷なる遺構。

遺構と言っても推定地であって何らの残存物も見当たらない場所です。

要はこのところずっと記していますが、道路・線路・住宅の開削によって消失した遺構ですね。

 

長沢の長沢松平の城について昨日記しましたが当地松平家の家臣の屋敷跡となります。

城郭大系は各県の本ページ扱いのものの他「その他の城郭一覧」という項目がオマケのように少々の文言とともに紹介されていますが、そちらに「361 織部屋敷」とあります。

そして一行「織部は家康に仕えた。正保年間に断絶」とのみありました。

 

そのようにこちら長沢は松平の一流が領した場所でそれぞれの時代の名士たちが居を構えていましたので「城館址風の場所」はたくさん想定できます。

当地の傾向ですが屋敷・農地ともに土地境界に石垣を積む習慣がありますのでその区画がなにがしかの遺構の如くに見えてしまうこともありますが・・・

 

そして城郭大系愛知県の「その他の城郭」の「364 観音堂城」とあるのが昨日画像アップ③の観音堂あたりのこと。

記述としては「長沢城の出曲輪といわれる」とありますが、殆ど長沢城ですね。

昨日の通り、国道一号線に背後は削り取られて社殿が残るだけです。

旧東海道から長沢小学校を右手に見ながら道を上がるとスグ保育園そして駐在所になりますがそれに隣接する林が観音堂。

さすがにコレを城と断定するのはムリがあるような。

 

①駐在所のスグ上。裏は国道。

墓域を兼ねていて新旧入り混じっています。 

私は最後の画像、五輪塔残欠に目が行きました。

墓石の中では一番古いでしょうが、後世どちらからか持ち込まれたものでしょうね。

 

④は青面金剛像。江戸期に流行った庚申信仰。

「観音堂城」なる名称も後世につけられたものでしょう。