火こそ恐ろしいものはない 「火とまる」壬生寺

朝から一日中風が吹きまくっていました。

気圧配置は西高東低、西から北の風となって冬の序章を思います。朝はさすがに半袖1枚ではムリだろうとトレーナーを1枚着こんでからテラス1階の整理作業にとりかかりました。

日中秋晴れで気温は上昇。あっという間に半袖に逆戻りしたくらいです。

午後からは叔母の家に向かい廃プラを整理し、軽トラ1車分を積み込んで処理場へ。

それから再び叔母の家に舞い戻って利用できそうなものを積み込んで帰宅しましたが日没後東の空にオレンジ色の満月が上っていました。風はやまず日が暮れるとさすがに寒い。

オレンジ色はネアンデルタール人が愛おしく思った色・・・と言いますし日没の色でもありました。

日没のお日様には父母がいるとも。

夕暮れ時の景色には色々なことに思いをはせます。

 

風が吹けば・・・とはいいますが、気がかりなのは火事ですね。

私は出火原因となるローソクと線香のケアはしているつもりですが、人間はその徹底というものができないどうしようもない生きものです。

それは我が身のことでありますから、その件重々承知はしているつもりではあるものの、往々にして「他のこと」へ注意が振れたとき、ふっと頭の中からその重大事案が消えて、その件思い出した時は「取り返しがつかない」ことになっているのです。

 

漏電という目に見えないうちに忍び寄る出火原因もありますが、それに関しては「漏電遮断器」のブレーカーの作動を信じ切る他はありません。

その例外的な火事以外の出火原因の元は「自身が点けた火」なのですね。

タバコ、天ぷら油、たき火等が主たるものですが、寺と言うと「私が点けた火」以外の火もたくさんあるわけで。

墓参やら本堂内の焼香がそれですが、それを気にし出したら何も手につかなくなります。

 

どちらのお内仏前の畳には線香の焦げ跡があるものですが、たまたま運が良かったということなのでしょうね。

新聞紙上「仏壇から出火」のニュースが絶えません。

特に風の強くなるこの時節、相良では最近火事による死亡事案が忘れたころに起こっています。

他人事ではなく「私のお頭の具合」を信用しないで、火には入念な消火チェックを心がけていただきたいものです。

季節風の強くなるこの頃、一旦火を出してしまと他人様の家に延焼させてしまいかねませんからね。

夜間の消防のサイレンと広報スピーカーはどうしても気がかりになります。

 

さて、壬生寺(先日)の壬生塚には柿本人麻呂の碑という不思議な石碑が立っています。

その名が「人丸塚」。

人麻呂だから人丸塚・・・シャレ?と思いきやまだあります・・・

→ひとまる・・・ということで「火止まる」とのこと。

この人麻呂を持ってくる理由はそこにあったようですね。

京都と言えば大火によって散々に人の命と財産が失われた地でした。

 

「火止まる」を願いに人丸塚に参ることこそ「私のお頭の具合」を適宜修正、念入りに気づかせるシステムがあったのでした。

 

②はお百度石。

昔はその「百」を忠実に実践したのでしょうね。人目をはばからず執心したその姿を見るのは時代劇中のみ。

③は広報まきのはらの記事。

緑茶が廃れていますが体にいい習慣なのですがねぇ。惜しいことです。

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    がつお (金曜日, 22 10月 2021 11:05)

    昨年から国会図書館デジタルアーカイブの年録を見ていて、今寛文元年分(万治4年)にさしかかったところで京都御所の火事の記事がありましたね
    江戸の火事は頻繁に起こっていたようですが、京都もなかなかの火事があるのですね
    天明ははるか先ですがじっくりとやってます

  • #2

    今井一光 (金曜日, 22 10月 2021 19:30)

    ありがとうございます。
    「国会図書館」の膨大な史料に日々対峙されているのですね。
    「年録」をトータルで読むなどハッキリ言って強烈すぎますね。圧巻です。