昨日の吉祥寺の叔父夫婦は歌舞伎座解禁、観劇の一日だったそう。
強者振りの発揮でした。もはやコロナ関係ナシのトーキョーの皆さん方を拝見していて思うのは、怖気づいているのは私のような田舎者のみの、まぁ人それぞれですね。
浮かれることなくゆっくりのんびりでOKかと。
もう少しは様子を見たいですからね。
どちらにしろ叔母の家の解体工事が終わるまでは気持ち的にもすっきりと晴れわたりませんからね。
今週は雨予報のほか叔母の定期健診の立ち合いという時間があったりで時間が費えます。叔母との久々再会は3か月程度のインターバルがありましたからその反応が楽しみでもあります。
「すべてにおいて回復基調、いたって元気」という情報を得ていますが「家に帰る」などと言われたら収拾がつかなくなりそうでそりは恐ろしい。
最近は「家の事は口にしなくなった」とのことですが、私の顔を見てそれを思い出されることは痛く辛いこと。
まして「家の中身はすべて処分して家は解体」など口が滑っても言い出せやしませんね。怖すぎます。
先日、「早く施設に入れた方がいい」と私どもが事あるごとに言って聞かされていた近所の方から電話がありました。
叔母に「会いたい」と。
「時節がら無理」と断ったものの、そればかりはこれまた恐怖の一言。
その家の処分と解体の件、ノー天気に伝えそうですからね。
その方には家具と仏壇もすべて処分したことなどを知らせると、「(叔父の)位牌をお寺に納めなさい」などと説教される始末。
叔母は「自身遺骨は実家の墓地」ということで真宗の教えを踏襲。
ご主人の遺骨は地元の禅寺の実家の墓地に納められていますが叔母はそちらには「入らない宣言」をしていて以前から私どもへは「骨は拾ってくれ」と。
その方には「私も寺ですから」と言って位牌の件は一蹴しました。叔父の位牌と遺影は当分の間本堂阿弥陀さんの後ろ側に。
いずれは叔母の法名札と一緒におたきあげすることになります。まぁ叔母の方が早いとは思いますが・・・
叔母の家で昨日驚かされたことはテレビ台を引っ張り出した際に気付いたのですが、御前崎ケーブルテレビからレンタルされた分配器を発見しました。
半年以上もテレビを点けていないのに早いところキャンセル手続きをしていれば・・・と思うも、奥方もその料金引き落としには気づかなかったとのこと。年配者は支払いが少なくて済むのかも。
御前崎の原発恩恵システムは傍から見て理解できないところがありますからね。
ということでそちらの会社まで分配器を持って出向き、解除手続きを完了させました。
配線撤去料11000円也の請求が後日あるとのこと。
さて、壬生寺の墓域は新選組、近藤らの墓域の存在が有名ですが、それらに交じって鎌倉時代に建てられたという歴代住職の供養塔がありました。
相輪上部の欠損と基礎底部の返花座の代わりの大きな方形台はその威容を誇ります。石塔を大きく見せるには効果がありましょう。
隅飾りの直立具合からしてその古さを主張しています。
五輪塔は「壬生官務家墓塔」。
「地下家」の壬生家は格としては殿中にあがれません。
昇殿を許された人(家)を「殿上人」、それが許されない者を「地下人」と呼びました。
地下人でも要は特別な役人。今の官僚のようなものなのでしょうが、その仕事もほとんど世襲。それが日本の歴史でした。
家ガチャとしては代々アタリ・・・でしょう。
それを考えると庶民として頭角を現すことができる下剋上は力と才覚と運次第で地位をゲットできたのですから一部の者にとっては「夢」というものがあったことでしょう。
地位が約束されていた者にとっては不安以外何物でもない世情だったでしょうが。
地位が生まれながらに約束されている・・・それはまた不合理以外何物でもナシ。現代のにそれあってそうであればなおさら。
やりたい放題になりますし腐敗の政が蔓延してしまいます。
五輪塔は江戸初期の建立とのこと。
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