9月1日は学校がスタートする日。子供たちが自死を選択するおそろしい時節でもあります。
理由はいろいろあるのでしょうが・・・
「世の中病気は数あれど貧乏という病気は中々辛いものじゃ」これは節談説教の「大根屋」に登場する阿弥陀さんに喩えられる「裕福そうな主人」のことばでした。
これは貧乏というものが即「病」につながるということではありませんね。
経済的困窮と不安が続くことによって「人」そのものの性質がしばしば悪い方向に変質してしまうことを指摘しているのでしょう。
まぁその理由が、父母を早くから亡くしたり別れたりするなどの不遇も加われば尚更です。
しばしばその境遇は人格を卑屈にし他者との協調を難しくし自身殻にこもるようなことが多いようです。
今、日本の社会で給食が命綱(一日1回の食事が学校の給食だけ)という子供たちの存在について、私たちは「それでいいのか」という問題として受け入れなくてはいけませんね。
何故ならば私は三食しっかり食べることができているからですし、お腹がいっぱいで、食べ過ぎ、肥満を警戒し、「運動不足だ」などと軽口を叩いている自分があるわけで。
決して他者に対して優越の気持ちがあるのではありません。
三食食事をすることが今や当たり前の世の中であると思い込んでいましたので・・・その給食頼みの毎日をすごすことにショックを受けました。
学校が休みの日の間は「どうするんだ?」と単純に心配してしまいます。
将来を担うはずの子供達のその「病」は最悪、反社会的行動の選択もしばしばあってもはや深い社会に沈む問題としての認識が必要です。
各自治体レヘルでその手の対応を模索している場面を見聞きするようになりましたが、この件、毎度後手後手で気づきの遅いお国の方で率先して対応していただかなくてはどうにもなりません。
そんな中、昨日2つの「無駄なおカネ」、要は「他人のカネ」=「自分の腹は痛まない」の件、目立つこと甚だしいものがありましたので記します。
①閉幕した東京五輪の競技会場で、大量のマスクや消毒液などが
廃棄されていたニュース。50枚入りの医療用マスク600箱
ガウン3420枚、消毒液380本など計500万円分とのこと。
管理が面倒で捨てた方が早いということらしいですね。
「他人(国の税金)のカネ」につき「勿体ない」の感覚に至らない役人というものの素性が良くでています。
②常滑で開かれたデタラメ運営の野外音楽イベントに3000万円
の補助金の交付の件
さすがに経産省はその交付を「取り消しするかも・・・」とのコメントをしていましたが、世の中には首を傾げたくなるようなコロナ支援策があります。これも国民の税金ですからね。アベノマスク850億があったくらいです。
そういう無駄ガネを本当のコロナ対策や切に困窮している子供たちに向けられないものか・・・
①など一時は不足があった品々で、まだまだコロナ対策必需品。それを捨てるなんて・・・まるで殿様感覚。国民に雇われているという謙虚さはまるでゼロ。
さて、先日は当尾の宝珠寺の石仏について記しましたが、あの時は私は車を千日墓地に乗り捨てて野山を散策しながら「辻」経由で立ち寄りました。よくも歩いたと思います。
実は千日墓地で出会った方にその先の「金蔵院」のご推奨をいただいていました(場所はこちら)。
「じゃあ歩いて」と言った時ニヤっとしていましたね。
また是非に自分の足であの小径を歩いてみたいものです。
②は宝珠寺向かいの旧小学校の隅に設けられた簡易郵便局。
これを過ぎて③~④「尻枝」になります。このバス停の右側の道を行ってスグこのお寺がありました。コロナ前でしたがすれ違う人、車はありませんでした。
グラフ画像①はワクチン優等生イスラエル大変の図。
ワクチンのデルタ株への対応力、低いよう。
②はいつものECMOnetから。重症者・死亡者は増えています。
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