静波の釣学院  境内 石仏たち

東京の感染者は高止まりの様。月曜日は少なめに出ますので・・・

検査数の限界が見て取れて本当の数字は出てこないのだろうと踏んでいます。

その分地方の数字が跳ね上がりつつありますね。重症者は全国で1800人以上。そのうちでどれくらいの方が生還できるのでしょう。家で亡くなる人、救急車に乗ったまま待機しつつそれでも入院先が見つけられず自宅に戻って亡くなる人。

今は対応不可。絶対に感染してはイケませんね。それもしょうがないと・・・見捨てられてしまいます。

 

 

これまでのお盆時期の長雨で相当数の人流は滞っていた模様。その分感染者増は抑えられたはずです。

降雨につき庶民の行楽気分の減衰によってこれから低めの数字がでてくるのでは?・・・

 

そこで政府が「ワクチン接種が広がったおかげである」などと早合点して、宣言の解除を早めたり、まさかとは思いますが「GO TO そろそろやろうか・・・」などのお気楽気分が出てきたとしたらこれまで通りの「お調子もの」がハマるしっぺ返しとして酷い蔓延の躰を見ることになるような気がします。

さて、昨晩はNHK BSの「戦場に消えた住民」を視聴。
日本軍の沖縄での「捨て石作戦」に動員
された女子供の悲惨について新しく発見された資料を基にまとめられた番組。

圧倒的戦力不足から市民を軍隊に徴収(「根こそぎ動員」)していくわけですが少女たちにやらせたことは炊事と運搬、弾薬補充員などいわゆる後方支援ですが、その徴収の仕方がデタラメ。

「後方支援」の仕事とは言っても実際は最前線ですからね。

軍に協力しなければ「鉄砲で撃つ」の脅しと「死んだら靖国に祀られるのだから」(心配するな)の意味不明。

そこに祀られてもらって何の意味がある?

 

中学校の男の子(14~15歳)も無理やり入隊させられたといいますがその無理やりの軍人の言い分が「艦砲射撃の激しさで学校には行けないだろうから入隊しなさい」。子供たちは最前線で砲弾の運搬に従事させられたそう。

 

軍の牛島司令官の言い分「最後まで戦うこと」「1人で敵兵10人殺して戦車1台潰せば・・・何とかなる」ような言、常軌を逸しているとは言いようがありませんが、その超ドが付くような「楽観」というか状況判断の見誤りについては今とあまり変わっていないような気がしてなりません。

まぁ見誤りというか、捨て石作戦を率いるにあたってその精神論を強調したといえばそれまでですが、どちらかといえば「最後まで戦え」の指令は戦闘を長引かせるだけで悲惨を増やしただけでしたね。

もっとも「1名10殺」「戦車1台破壊」など、あの圧倒的火力を持つ米軍にどう戦えばわからない末端日本軍人にどう届いていたのでしょう。

気合だけで戦う」のメッセージ、その意はまったくチンプンカンプンです。

 

いつの時代も「わかっちゃいない」のが「えらい人」。

それに困らされるのが「弱い」人たち。

 

番組の最後のその15歳の軍属が見た情景。

沖縄の海上に米軍の船舶が埋め尽くされたことは聞いていますが海岸の目と鼻の先に来た哨戒艇らしき船舶から、海岸線に潜んでいる日本軍に向かってマイクで陸も海も包囲しているので「投降して船まで泳いで来なさい」と促すと3人ほどそれに応じて泳ぎ出したとのこと。

 

それを見た他の日本兵が海辺まで追いかけて泳いでいる2人を撃ち殺し、肩を撃たれて海岸に戻った1名を銃床を打ち下ろして「動物のように」殺したと。

その一部始終を見ていた船の米軍はその仲間を殺した日本人たちに向って機銃掃射、撃ち殺したとのこと。

この場で「日本兵の手」によって殺された日本兵の家族には「名誉の戦死」と伝えられているのでしょうかね。

「戦闘放棄したから後ろから撃ち殺しました」って言えますか?

そして同じようにして(すべていっしょくたに)靖国に祀られているのでしょうか。

 

さて、昨日の続き。

静波の釣学院の境内の風景と石仏たち。

小型の五輪塔が一基、詳細は不明。風・空は他と比較して異質。

⑤の細道から裏の勝間田川沿いの小径に。

 

お寺は静波海岸と勝間田川に囲まれているような立地で以前住職ととの会話で「津波の恐怖」を語っていたことを思いだしました。