全国の重症者数の数が10日連続過去最高とのこと。
抗体カクテルやら何たらと「効く」といわれる薬が出てきたという中、ではどうして重症者が増えてる(全国で1800人強)?というのが単純なギモン。
静岡県内では397人が入院中。20日の数字で自宅療養2810人・自宅待機者938人(20日)とのこと。
軽症のうちに(発症してスグ)対応していただきたいというのが切なる願いなのですが中等症、それも相当ヤバい状態になるまで相手にしてくれません。
抗体カクテルは軽度の内に投与しなくては意味が無いと言っている中、自宅療養者をそのまま増やしていていいのかというのも疑問の一つ。
そこで放ったらかしにされるなら・・・と昨日はイザという時用に「一家に一台酸素濃縮器」の如くの事を奥方に説いたのでしたが、現状その機材はどちらのメーカーも引く手あまたとなって超品薄といいます。
医療機関が「足りない」と言っているところ民間、私的にそれを確保するなどは社会にとって、いいことではありませんのでどちらにしろその時は苦しみを受け入れて「まかせる」他はないのかも知れません。
もはや「どこで感染しても不思議はない」といわれるレベルですのでその辺りのことは肝に銘じておかなくてはならないでしょう。
さて、そんな中、お寺と言うと「不要不急」のくくりに入れるべきか「いや、そうではない」と二つの論が対峙しつつずっと私の頭を悩ませているのが「法務」です。
坊さんは「生老病死」の件、その時は「詮なきこと」で済ますことができますが、このデルタの感染力は強くどのように感染が広がるかまったく不明。
参集された皆さんにそれが及んでしまえば後悔することになりますからね。
やはりそれはどちらのお寺の法務主催者においても同様です。昨日の釣学院本堂で催された会についてもそちらの住職(和尚)は大いに思い悩んだとのことです。
とにかくも今回は催行し今後の事は考えるということでした。
本堂の三方を開け放ち扇風機で空気を強制排出する作戦で、私の「野戦病院は海の家がいい」と同類のこと。
となればお寺の本堂の作りからすれば野戦病院として案外適しているかも・・・などとも思った次第。
というわけで、私は朝から静波にある曹洞宗法城山釣学院へGO!
初めての本堂入堂、御本尊ご対面ということでワクワクきょろきょろの無作法。
拝見するにご本尊は厨子の中、お出ましする様子なし。
釈迦如来とのこと。
帰り際にすっとんきょに「どういう時に御開帳するの」と聞けば、「先代も私にあっても未だ拝見したことが無い」との言葉に唖然呆然。立ちすくみそうになりました。
重い、重すぎる・・・半面私は軽い、軽すぎる・・・
大いに勉強をさせていただきました。
特にまた読経にも立ち会わせていただきましたが、その中の経典
「白隠座禅和讃」は良き出会い。
「衆生本来仏なり 水と氷のごとくにて」の冒頭部分から引き込まれました。
当流にも御開祖の御和讃があって経典とは違いくだけた言葉でそのエッセンスを綴ったようなものがありますが、これはとても無知なる私においてもわかりやすい。
ちなみに当流で言えばその言葉、「即得往生や念仏即往生また平生業成・・・」など思い浮かんで、仏教の原点を見たような思いがしました。
おかげ様で有難し。
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