銭司と書いて「ぜず」 和同開珎鋳造所 加茂駅

戦後76年、昨日正午の雨中、この夏3度目の鐘の音がいつもの世話人さんのお役でしたが、街区に響き渡りました。

私はといえば今年最後の盂蘭盆のお勤めが終了し、午後一番に予定している、亡き友人の墓参とご自宅へのご挨拶のタイミングを図っているところでした。

朝の法事でご自宅への訪問の際は酷い土砂降りとなって到着後、車中10分近く待機していたほど。

昨日に限っては「雨の時間」と私の行動が重なってしまいました。まぁ、いろいろあります。

 

心はこの「連戦」を何とか・・・と無事に過ごすことができた安堵と余裕がありましたのでそんな酷雨などまったくもってどうでもいいことでした。

 

亡くなった友人は幾度か拙ブログにも登場していますが、相良にある「エ〇バ」のなんたらと言うグループに奥さんが入信してから家庭崩壊、それを悲観して自死してしまったのですが、その報を「奥の墓道」氏から聞いたときに私はあまりに憤慨して葬儀にも向かいませんでした。

まぁあの時は私も横浜にいて会社の仕事が繁忙で対応不可でしたが。

ただし葬儀となれば行く気があれば行けたはず。

その件、私は未だ悔いが残っていて、毎年この季節になるとその挨拶は欠かさないよう気にかけていますがいつもの相棒の「奥の墓道」氏は2年連続欠席となってしまいました。

一人暮らしのお母さんに聞けば今年も千葉にいる孫たちなど帰省はなかったとのこと。

こういう時期だけにゆっくり話し込むこともせず、近くの墓に顔をだして今年の盆は終了。

「なんとかやらせてもらっている」のありがたさ、うれしさをお念仏に代えて。

 

何度も記していますが県境超えるな、出歩くなの言葉ばかりが踊っている昨今ですが、「なんてアホらしい」と思うばかりです。

「〇×の指定」するだ、なんたら願う・・・と鼻の穴をおっびろげて偉そうな宣言をしてるお偉いさんを拝見していますが、既に国民はその手のモノに聞く耳は持っていません。

 

このお盆休みといわれる時間、拙寺駐車場でいえば各県ナンバーのオンパレード。愛知、横浜、東京、千葉・・・前にも記しましたが日本のお盆参りをなめてもらっちゃあ困ります。

庫裏に居てマスク姿の見覚えのある方が「来ちゃいました~」と頭をかきながらご挨拶に来られるなどの場面が多数ありました。

越境しつつ墓参に来られた方たちの多少の後ろめたさは感じますが私としては「歓迎」の意を表明するのみですね。

中には「来ちゃったの~」とは返したりはしたものの・・・

 

それが結果的にどのようになっていくかなど、例によって「私のあずかりしらぬところ」です。

何度も記しますが「国と都が主催する五輪はヤルが民間のお盆のお参りはヤメろ」など誰がそれをまともに受けます?

国会も開かず、「自分は良いのだ」とばかりに靖国参りをしているというのも大いなるギモンでした。

 

それにしてもお盆最終日のドカ雨は凄い。

各地で河川氾濫に土砂崩れの報が伝わっていましたが、私のよく使う「いつもの道」が各所で「壊れて」いました。

一時は東名・新東名に246号にターンパイクの通行止め、そして小田原市内の熱海方面とを結ぶ135号の土砂崩れとどこもかしこもブツブツに切れて唯一まともに残った1号線に車が集中して、箱根新道など小田原方面がビッチリと混みまくっていました。

それを見て、当地まではるばるやってきたご門徒さまたちのユータ-ンの苦難、如何ばかりかと案じた次第です。

 

以前私は国道157号線について触れたことがありましたが、いつかはその道を通って日本海へというのも私の数ある目標のうちのひとつでした。

実はお盆休みが終わってからうまいこと天気の具合を見て「楽しんでやろう」という思惑があったワケで今回のデタラメな降雨によってその計略は台無しになったようです。

20日くらいまで前線が停滞するという予報もありますし・・・

 

何せあの道は冬季の通行は論外、大抵は通行止めになっています。そして出水が道路上を横切るような国道ですので大雨後の通行なども想像するだけで恐怖です。

雨天後少なくとも4~5日の乾燥期間が欲しい道路ですね。

また問題は情報入手が極めて少ない道で、「一体今どうなっているかわからない」というような国道です。

 

今はどこもかしこも道が壊れて当分の間はどこにも行かないで家にいるしかありません。

もっともその大雨が直接生命に関わる「災禍」となったからにはお気楽観光のお調子者の姿は謹むべきでしょうね。

 

日本は3つの「禍中」にあります。

①はコロナ②は天変地異(大雨土砂崩壊)そして③に政治不能。これらも日本人すべてまったく「ついてない!!」としか。

 

さて、昨日はワクチンも政治も銭次第・・・のようなことを記しましたので「銭」関りで加茂の「銭司」を。

木津川市加茂の歴とした地名で「ぜず」と読みます(場所はこちら)。

和同開珎の鋳造所があった場所で勿論当時のお国の機関、令外官の鋳銭司のこと

あの時は石仏たちのイメージ強い加茂の中心に足を停めましたが意外と開けていて驚かされました。

いつもの加茂とはまったく違う景色で住宅街も広がっています。

 

最後の画像も「銭」つながりで「銭天堂」キャラクターたち

民放番組が見るに堪えないときはEテレに回して落ち着きを取り戻すというのがいつものパターンですが、そちらでいつか知り合いました。

画像はそのイベントがあったショッピングモールの図。

結構に子供達に人気があるのですね。

7月のことデルタ禍中、もう行きません。というか行けません。

反省しています。